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[2003/02/03 更新]

山田新一「現実の朝鮮(再渡鮮)」の解読

藤田米春、藤田道子

これは洋画家 山田新一 が終戦直後、GHQの命により戦争記録画
収集したときの手記を、宮崎県の画廊および画材店経営者の青木脩氏
託したものを、同氏のご好意によりコピーを譲り受け、藤田道子が山田
の暗号のようなくずし字を解読し、それをさらに藤田米春が再度見直し
たものである。
本サイト(http://www.coara.or.jp/~fujita/syamada/
以下の本文書を含めてすべてのデータ)の
著作権は藤田米春が保有します。
直前の版はこちら

解読の基本方針として、誤字、誤用、書き間違いと考えられるものも訂
正せず、そのままにしてある。改行位置も原文に従った。誤用が判読に
影響するものについてはコメントを付した。なお、原文は縦書きである。
凡例
 [mn] :文字の判読が困難であった文字のmn番目
 (?) :この直前の文字の判読に疑問がある文字
 (道mn):藤田道子(山田新一の妹)の注釈
 (米mn):藤田米春(山田新一の甥、この文書の作成者)の注釈
 々々 :これは縦書きの「く」のような繰返し表現の代り。

 なお、全角の( )は山田新一の本文中に実際に現れるもの。


現実の朝鮮(再渡鮮)
山田新一

p001------------------------------------------------------------
四月十八日に東京で別れてから、二十二日と言い二十
七日になりそして遂に五月四日迄私は京都でアンダ
ーソン大尉を待たなければならなかった。
其朝七時に大尉は京都に着いた住氏を随
伴して元気で其巨躯をニコ々々させ乍ら−−−
京都ホテルへ。
それから住喜一郎(米01)氏を混えての我々三人ぶ
ら々々と御所の中を逍遥した
然も幸な事には宮内官の案内で御所内
の襖絵を拝観することによって思もよらぬ
-----------------------------
(米01)「藤田嗣治 「異邦人」の生涯」(近藤史人)に出てくる
   住喜代志(陸軍美術教会解散事務所)とどういう関係か?

   手元の手記のコピーではこのページはしりきれとんぼになってい
   る。手記の原本の所有者である宮崎の青木脩氏に確認する必要が
   ある。

p002------------------------------------------------------------
昨年十一月陛下関西御成の際の彼の聖上御日
常生活の一般を知ることができた かくの如き事は
我々平民のかって夢想さえ出来ないことであ
った百年前の狩野派其他の巨匠が各家
の襖に物した四季の絵の美しさもさること乍
ら陛下日常の生活の御質素なのには何より
も驚いた。謁見の間プリンスオブウェールズ御来
朝の際こしらへられた椅子テーブル、御寝台は
皇室らしい白羽二重のシーツカバーではあるが
大体は木製であった。又御浴室は洋式で
全く普通のバスでしかなかった。

p003------------------------------------------------------------
御食堂、皇族控室、貴族同上待従(米02)及式部官
同上 すべて絨たんは部厚な美しいものであ
ったが何様一体に御質素なものである。
然しお庭は全く手廣くて新緑も正にしたヽるばか
り、お池に映る橋辺の藤の花は匂いも深く
えも言はれぬ平和な姿であった 御茶室
もみやびやかである。
正午まぢかく辞して電車で烏丸車庫迄
それからぶら々々歩いて自宅での昼食べ−−
三輪勢晁氏が待ってゐた。
-----------------------------
(米02)「催」のような字、文脈から「従」と判断。

p004------------------------------------------------------------
すき焼きに大尉を[????????](米03)三輪氏を
訪ね、更に午后三時半京都ホテルへ大阪
からブラウン大尉が来て待ってゐた。
我々はいっそう人数を加え A B 両大尉(米04)、住氏、三輪
氏及小生の六名で折から降って来た小雨を堂本印象氏邸
へ。
先ず茶室へ案内されて美しいそして丈の高い姪御さん
の御手前で茶の湯の接待、御道具拝見
雨中の庭先を大きな菅笠をかざして往復
することは 米軍将校をひどく興味深がらせた。
つづいて印象画伯近作数点拝見
-----------------------------
(米03)[????????]は複写がずれていて読めない。
(米04)A,Bとは Anderson と Berger のことと思われる。

p005------------------------------------------------------------
再びジープを連ねて
鴨川踊へ、舞台の美しさは流石両将校の
目を見はらさせ「此侭ニューヨークへ持っていっても
大うけだらう」と言はせたが、舞台の芸者と
(笛、太鼓、三味線、鉦)鳴物や唄の芸者迄すべて石の如き無表情
なのにはびっくりしたらしい。
其処から熊野神社付近の日本料理へ、其処には
三輪夫人が既に来て待って居られた。仲(米05)々(米06)盛沢山な
御料理であった。席上 酒の吟味の話から、たま々々
-----------------------------
(米05)「仲」の「中」の下に「ヽ」があるように見える。
   後の方にも何度かで出来る文章から推察して「仲」と判断。
(米06)似た形で「に」もあるが文脈等から「々」と判断。

p006------------------------------------------------------------
三輪氏持参のものをアンダーソンが東京でミス・ケ
シーの京都みやげで味を覚えてゐる「京風味」
ではないかと言ったのを三輪氏が「全く仰せの京
風味である。これは驚いたタシカな味覚かな」と
直ちに醸造元の中村氏に電話がかけられ 私達
は夜の祇園をぶら々々と出向くのであった 中村氏
では快く招ぜられ自慢の説明入りで一号から三号
迄の京風味をあれこれと賞味させて貰い且 研
究中のペニシリンに就てはブラウン氏との間に仲々
ユウーモア混りの應就があった 中村氏の自
動車に送られて辞去したのはもう十時過で
あった。

p007------------------------------------------------------------
五月[????????????????????????](米07)
住氏、小生の四人でジープにより嵐山へ、自分としては亡父に
伴はれての見物以来二十五年ぶりである。雨の風情
もなか々々よく 只写生の出来ないのが残念であった
温泉料理で晝食四時頃引返す橋伴でジープを待
つ間にアマチュア写真の連中につかまりA大尉無闇に
ポーズさせられる。雨は上がった。四條柳馬場で車を
捨て神保の店をひやかし、更に四條川原町迄
真珠其他をヒヤカシて京都ホテルに送り帰宅す

五月六日
今日の奈良行は快晴である。B大尉は忙しいので
早朝大阪へ帰られる。十時半大阪発奈良
電で
-----------------------------
(米07)[????????????????????????]
   複写がずれていて読めない。

p008------------------------------------------------------------
電車中で大阪女医専の学生六七名と一緒になる「何の女
学生か」「女医専」「看護婦になる人達か」「医者になる人
達だ」・・・「戦前は日本の女学生ももっと美しい服装であ
ったが今はみんな古服を仕立直してのモンペ姿である・・・」
「いやアメリカだってこうした軍服類に惜しみなくあらゆる資材を
ロー費してゐるので家庭の娘達がやたらに新調することは恐
らく六ケしいだらう堅実な家庭では矢張父親の古いのを
改造することを主にしているだらう−−−」
 私はそれ等を甚だ有益な話だと考へ女学生の一人に伝えた
車中田畑の風光は美しい A大尉は仲(米05)々(米06)農業に関する
ウンチクを傾けての豊富な話題である A大尉のお父さん
はデンマーク人で二十数年前第一次欧州戦後の経済
恐慌を後に渡米した。僅かの土地をミネソタ州に購い且
小さな水車小屋を買った 営々と耕地することによって食とし
水車小屋の収入により毎日百弗を当時暴(米08)落(米09)のデンマーク
貨として ニューヨークの銀行に貯蓄した。
-----------------------------
(米05)p005参照
(米06)p005参照
(米08)「景」の「小」が「恭」の下のような形。文脈から「暴」と判断
(米09)直前の文字から「落」と判断

p009------------------------------------------------------------
現在九百数十エーカーの農地と三百頭位の牛其他馬豚類
で豊かな生活をしているらしい。 これも味ふべき話である。

奈良駅で[01]夫に写生道具を持たせ公園の中をぶら々々
歩いた商品陳列館を通りかヽると美術展覧会をやって
いるので覗いた。小野藤一郎君の絵があったので電話を
かけた。春日神社を参拝してゐる間に来た年取
ってやせてゐるのでびっくりした。一緒に写生した。京都
に帰りついたのは夕刻七時半過ぎであった。

五月六日 Mr Singer(米10)
京都ホテルに住氏が綺麗な姪を連れて来てゐた
知恩院の写生地を案内すると言ふのであった。然し
ジープに乗ってゐる間に運転手の言ふミヤコホテルの
裏山がよさそうなので方針を変える。可成り
高い山のテッペンで素破らしい景観である。
-----------------------------
(米10)ページの上に横書きで書き込んである。

p010------------------------------------------------------------
お寺の坊さん仲(米05)々(米06)親切に湯茶の接待してくれ晝食後
三時過迄描く

五月七日
明日出発することにしたので別行動になり出発の準備
をする

五月八日
午前六時発アーミーカーなので四時から起きて忙しく
仕度する。瓊那子と瑠寧子に見送らせてR・T・O(米11)
へ、住氏見送りの仕一郎氏先に来ている。間もなく大尉来り
予定の如く出発する。
列車に乗ってから滑警な椿事が出来た。A大尉が写
真二ケとジャケットを京都駅に忘れたのである。大阪で
下車、駅前の闇市を見物した上で九時半のmG電車で京都
に引返す幸に忘れ物はR・T・Oのテーブルの上にあった
-----------------------------
(米05)p005参照
(米06)p005参照
(米11)Railway Transportation Office(駐留軍鉄道事務所)以下同様
p011------------------------------------------------------------
自宅に帰ったのは十一時少し前キミ子ビックリ。午后田辺電気局
長に会ふ。 夕食をすませ、キミ子、ニナ子、攸に見
送られ再びR・T・Oへ。A大尉物の十分もおくれて、
住氏は電車の都合悪かった由、出発少し前に息せき切
ってかけつけた。朝の時もだったが夜行列車も矢張贅
澤な一二等車連結で、自分達は普通一等車に
A大尉は十時過迄自分達の席で話込みパースに
移った。結局、広島で下車を後日にゆづり熊本直行
に協議一致した。

五月九日
広島の惨状は充分車窓から察知せられた。何枚かの
カメラを撮した。正午頃博多着。熊本行の
アーミーカー(三時)迄に一寸市中を少し見物する

p012------------------------------------------------------------
 熊本には夕刻七時着。A大尉はツカサ旅館に、我々は櫻
井荘(ツカサ筋向)ときまったが 櫻井荘の女中達が部屋
が無いの一点張りなので遂にツカサのM・G・大尉が出て
きてドナリつけて兎に角部屋に入る。A大尉のお許しが
あったので 明朝早く竹田に行くことにしてやすむ。

五月一〇日
午前五時半宿を出てブラ々々歩き駅に行く早過ぎたのでリュック
を一時預してブラ々々する橋際のM・Pと話込む。気持よき
兵隊自分の靴をステード・サイド・ライクだといふ。「ツカサ
で大尉は快眠だらう」と言ってニヤ々々笑ふ 七時少し前
に駅に行ったがR・T・O誰も来て居らず 案内所で聞
いたら七時のは宮地止りで竹田迄は行かぬとのこと昨日
博多のR・T・Oで聞いたのはウソで電報を打ったのに
竹田ではどうしたかと多少 心配になる。

p013------------------------------------------------------------
宿に引返しA大尉と話込みジープで送られて十一時少し
前に又R・T・Oへ。すぐ竹田往復の切符を買ひ
乗車。大尉とは明朝阿蘇で会ふ約束をする
午后二時過竹田着、正明、正敏両君出迎に来てゐる
駅長に「防中?赤水?」熊本R・T・O通じ
てA大尉に連絡をたのみ、森かねよ氏訪問、竹田
荘を経て岡城址をはるかに望み山路を半里程
伊東の家に行く。伊東のお父さん庭いじりをしてゐる
お母さんも元気。珠璃子例によってニヤ々々してゐるが嬉しさ
はかくせぬらしい。孫敏行、生まれて十日目元気そう
但目をいためて片方の眼がめやにでふさがってゐた 醫者
に見せたら大したことないとの由。
近所の隣保班、親戚等を廻り 京城から引揚

p014------------------------------------------------------------
げた そして 珠璃子のお産を助けてくれた児玉さんで話込み
大分暗くなって家に帰る。正明君夫人、二男の人の夫人
にぎやかである。珠璃子は産気づく迄野良で働
いてゐた由。伊東母から野良の話を聞いてゐるうちに涙
が出てとまらないで困った。手打ちうどん、いも、もち、
一級地酒、心のこもった御馳走が山程である。話は少しも
つきようともしないけれ共 明日もあるので十一時やすむ。

五月十一日
午前五時朝食。おいも、たまご、おにぎり其他おみや
げ沢山貰ひ、伊東家の畑をぐる々々廻り乍ら駅へ
A大尉との連絡出来居らず防中から赤水への
電話の結果、同駅で下車 観光ホテルにいったこと
判明、駅前で 阿蘇(登山禁止、噴火の為)を
サムホール、三号併せて二枚描き一時の列車で赤水へ

p015------------------------------------------------------------
トラックへ便乗の上 観光ホテルへ発ったのは三時であった
A大尉にすぐ会へた。廣場から山を描く(三号)五時
キャリヤで下山、熊本へ着いたのは七時過 A大尉
大分疲れたらしい。

五月十二日
小雨の中をR・T・Oへ、住氏は仕事の都合では
午后まで残ることになり、自分等のみ午后一時少し過
博多着、大尉は共進亭へ、自分はR・T・O
通訳の案内で柳橋際の天城閣へ、雨の中で然も
ジープのホロが不充分の為服も靴も大分濡れた
晝食後 秋月先生(道01)をたづね御馳走になり
傘も借りる 高尾御兄弟の消息も判明
夕刻 住氏を駅に迎える 瀬野覚蔵氏
-----------------------------
(道01)京城日本キリスト教会牧師東大出の立派な方でした。

p016------------------------------------------------------------
[複写ずれのため不明]
こと大尉に報告非常に喜ばれた。

五月十三日
朝早く秋月先生を訪ね傘をお返
しし洗濯物依頼 住氏とブラ々々天神町の青空
市場を歩きヒョッコリ熊本蕉造氏に会ふ 元気だ。
夕刻を約し別れる。玉屋へ岡島氏(毎日)(道02)
を訪ねる不在。置手紙して岩田屋へ。山本常務
に会ひ晝食の御馳走になる。共進亭で散々
ウィスキーを飲みR・T・Oへ 絵は来た
寸法をはかり箱製造を以頼してゐたら
岡島氏来る。共進亭迄ジープに同乗
-----------------------------
(道02)毎日新聞

p017------------------------------------------------------------
夕刻を約して別れる。午后住氏は二日市
の伊東中佐を訪ねて行く 四時半自分だけ
新聞社に行く給仕の案内で縣政記者室
へ。それから岡島宅へ。御風呂に入り大変な
御馳走になる。七時宿に帰る間もなく熊
谷氏来り大分話(米12)込まれる。

五月十四日
朝出掛けると旅館のすぐ前で宇野眞一氏に会った
お互いに不思議な邂逅を喜んだ。中尾菊太郎氏と同居
してすぐ近所に居る由 再開を約して別れた。九時
十時・・・共進亭で待ったが住氏は帰って来ない
「ゲイシャガール」じゃあないか、と大尉笑ふ
-----------------------------
(米12)道子訳では「張」だが、「話」と考えられる。

p018------------------------------------------------------------
十時半港務所に行き少佐からジープを借りて葦田
の飛行場に行く。額縁荷造の木箱極めて巌丈なのが
出来てゐた。兵隊達は庭で球がフワリ々々と天に上
がるようなテニスをしたり、屋内でボクシングをしたり楽し
そうだ。箱の運搬誰にも手伝って貰はず大尉と二人で
ウントコシャとジープに乗せる。十一時半R・T・O
に帰る 先ず助役室で筆墨を借りて箱の上に宛先
を書く。釘を打たうと思ふがどうしてもハンマーが無
い。大尉はジープを返しに行って了った 其侭宿に
帰ってレーションとパンで晝食をすませる

p019------------------------------------------------------------
午后二時 ホテルに行き大尉を誘ってR・T・Oに行く
ハンマーを借りるついでにR・T・Oの中尉と一緒にパネル
へ入る。中はよく出来てゐるものだ。サロンにYOSHIDA
とサインのある仏蘭西婦人の半裸像がある 誰のか
わからない「良い絵か」といふから「可成り良い絵だ」と
答える。老少佐が素破らしく大きなアコーディオン
を弾いている 仲々うまい。
ハンマーはすぐ借り、箱の釘づけをしてR・T・Oポ
ーター達に列車に積込ませる。住氏三時迄の
アーミーカーで出発 岐阜(米13)で数日下車の上帰京の
途につく。夕刻岡島氏宅で湯原氏に会ふ。

五月十五日
熊谷氏タバコを届けてくれる。一寸岡島氏に立寄り共進
亭に行く。船は明十六日の午后四時 病院船と
-----------------------------
(米13)「藤田嗣治 「異邦人」の生涯」(近藤史人)では、藤田嗣治が
   岐阜に行ったように書いてあるが、上記の住氏のことではないの
   か?

p020------------------------------------------------------------
決定 大尉と二人で千代町の方からぶら々々歩く 千代町の
角で博多人形屋をヒヤかしたら偶然京城陸軍
病院に兵隊でゐた奥村君が兄さんの手助けをしてやってゐる店で奇遇を
喜んだ。伊藤兆司氏訪問。夫人の涙。本人石姓白偉(?)
夕食後中尾氏宅を訪ねる。宇野、中尾両夫人にも
会ひ、無事を祝し会った

五月十六日
午前中 共進亭に行く大尉やヽ調子が乗って来て
絵が段々良くなってゐる。正午中尾氏へ宇野氏がビール
を見つけに行った由まだ帰ってゐない散髪に行く熊谷
氏来る。又タバコ貰ふ。熊谷氏は互助会理事会が
あって先に帰る。入浴させて貰ふ。二時に宇野氏手ブ
ラで帰って来る。御馳走になる 平和会館へ

p021------------------------------------------------------------
みんなで行く電車道で山喜多に会ふ
須田氏のオフィスで散々ビールを飲みみんなと別れる
共進亭に行き大尉を誘って再び平和館へ。キャバレ
は段々に人数を増し兵隊達は大ランチキである大尉
大きな「ジョブ」だと感心する。
電車で山喜多の家へ夫妻共戻る 大尉朝鮮の
パカチ土族面を貰って喜んで帰る

五月十六日
朝のうちに岡島、秋月両氏に別れに行き毎日で
設楽君及山陰支局長に会い十一時半に共進亭に
行き大尉の部屋でレーションの晝食をすます
二時に ポートの少佐のジープで埠頭に行く
船はすぐ判ったスマートだけれ共小さいのにビックリする

p022------------------------------------------------------------
船長の案内でキャビンに入る。病院長は慶応出の若い
海軍々醫大尉あがりで戦争中は海防艦に乗組み
ラバウル方面に居り終戦後、ニューギニ、宮古島
上海と既に十三回の復員輸送航海に従事した由
気持ちのよい青年である
船橋で写生している内に婦長以下十二名の看護婦が
乗船して俄然にぎやかになる 一人素破らしく美しいのが
ゐて大尉すこぶる上気嫌カメラしきりにパチ々々
鳴る  驚いたことには大尉産れて始めての
航海だと言ふ「シーシック」やらんかなーと言ふ晴
朗な天気だし飛行機に馴れてゐるんだから大丈夫
だと慰めて置く。
その内に船橋がざわつくので行って見るとガッシリした一人の若いクル
ーが船長に 喰ってかヽり果ては松の木のような腕を振って

p023------------------------------------------------------------
なぐりかかる始末に看護婦たちは悲鳴をあげるし、大尉は
心配らしく不思議そうに眺める。院長が一所懸命取
倣し青年は「下ろしたければ下りるさ」と怒聲を
残して船の中へ消える。ゴタ々々して出帆おくれ六時
半に抜錨。自分達二人は其前に二人だけでサロン
で夕食を取り船橋に出て美しく輝く博
多の街への別れを惜しむ。冬月其他駆逐艦等
ありし日の日本海軍の威容をしのばせてゐる
リバテイ号。L・ST、駆逐艦等何処からの引
揚か復員か、船客鈴なり満員の幾席かにすれ
ちがふ度に手を振りハンケチを打振り交互の万才は
惜しみなく興安丸もゐて大尉に自分はあの船で引揚
げたと話してゐるうちになんとなく涙が込み上げて
来る。

p024------------------------------------------------------------
岬も山も紫に霞んで博多の街の灯がキラ々々と
紺青の波間に煌くのをぼんやり眺めていると大尉
は「何のエキサイトだらう!!」と言ふ なる程
船員達は甲板を右往左往して走る 船長も
右舷後方に走って行く。院長は双眼鏡をじっと後方
波間に据えてゐる 「先刻船長とケンカした男が飛込
んだのです」「大丈夫ですか」「泳ぎの素破らしい
男ですから大丈夫です」 話合ってゐるうちに船は
全廻転して再び博多の方へ−−−ボートが降ろ
され 船中 全員の瞳孔はかすか海上にたヾよってゐる一つの
かすかな黒点に集
中させられ片唾を飲まされる。
ボートは刻々に其一点に近づきクルー達はローブ

p025------------------------------------------------------------
の準備をし素裸になって救助に飛込む用意をしてゐる。
ローブは繰返し々々投げられた。然し海中の男はそれを受けようと
はせずに拒んでゐる。とう々々たまりかねてボートの中からフンドシ一つ
の青年が飛込んで助け挙げた。片唾を飲んでシンと静まり
返ってゐた船中からは期せざる歓聲が挙がった。

若き病院長はホット安堵の色で静かに語り出した。
「此船のクルーの殆ど全部が復員海軍兵で多くは特攻隊員
です。一度捧げた生命を今こうして兄弟愛以上の団結を以て
復員傷病兵の輸送に当ってゐます。祖國再建の一役を買
ってゐるのです。今こそは家を忘れ、両親や兄弟を離れて
只管に働いてゐます。 然し時として胸苦しく湧揚って来る絶
望感と、祖国の政情民情へのやるせなさは若い者に
何とも言へない絶望感と虚無感を突然襲はせる

p026------------------------------------------------------------
ことがあります。 正直にお話しすれば、此船が復員就航
以来 これが六度目です。そう言ふ私自身も一度は
海に落ちたました−−−彼は身を投げたとは言はず丹[02](米14)
な容貌を一層冷静に、"落ちた" と語った−−−
然しクルーはみんなお互いを警戒していますし、誰もが海に馴れ
水泳の上手な連中ですからまだ誰も死んだ者はありません。
今日飛んだ彼は現在信号長ですが、つい終戦前は
伏龍特攻隊員、ご存知でせう あの潜水服で爆薬
を抱えて海中に潜り敵艦の下に入って行くあれだった
のです。完全に生命を棄てつくしてゐた、青年です
今日も出航前に少しばかり酒を飲んだらしく大分物狂る
ほしくなってゐたようです。平素は温厚な人情居士で
しかありません。人と争ったり自我を主張したりする
ことの決して無い男です」
-----------------------------
(米14)[02]は文脈から「整」か?「端整」を「丹整」と誤用?

p027------------------------------------------------------------
私は其事をアンダーソン大尉にすっかり話した 聞いてゐる
大尉の顔も心なしか淋しそうだった。
「東京や、横須賀や或いは大阪でもいくらかの米
兵が暴れた・・・と言ふ話がある。どんな風に暴れ
たか委しく考へる必要もない。要するに長日月戦
線に出てゐると和解兵隊達の頭は郷里の温い家
庭にゐる時の平静とは別のものになってゐる。随分自制
に気をつけてはゐても時に突飛な行動になって現
はれることがある。勝ったとか、敗けたとか言ふことで
はなしに、それが戦後の現実である 周囲のもの
がなんとか温い心で一日も早く以前の環境にも
どしてやるべく、あらゆる努力をしてやるべきだ。

p028------------------------------------------------------------
たとへば なやめる青年に、やさしい花嫁と家庭とを
與えてやるべきだ。」
 夕食はクルー達とサロンで一緒になった その上食後院長
を先頭に大阪高醫出で矢張海軍軍醫少尉だつた
ベートーベンといふニックネームの人、東京高等商船出の
三等運転手、パーサー、其他 全部で七名がアンダー
ソンを中心に 小生のキャビンをすっかり談話室にして
了ひ、コーヒーとウイスキーを飲み乍ら、藝術の話
アメリカの話 さては日本の前途・・・と とう々々
十一時過になりへと々々になってやすんだ。

京城に着いてから時に思出してはアンダーソンは
「病院船はどうしてゐるだらう。あのクルー達はな
つかしい・・・」と言ふ。

p029------------------------------------------------------------
五月十七日
六時、明るく晴れた初夏の海と空
船は文字通り畳の上をすべるように朝鮮の山々を望ん
で航行してゐる。
あヽ彼の島はもうそこだ。
このあたり・・・昨年十月二十一日午后興安丸のキャビンで
妻と抱擁して我にもあらずボーダたる涙に嗚咽をとヾめあへ
得なかった処である
本気に心からの無念に泣いたのだ
亡父の代から三十幾年の朝鮮、父眠り妻逝き
又弟の新二も此処にいこふた。
そしてキミ子は強盗に傷き、母も道子と幼い者達迄
が身体中に荷物をくヽりつけて此処を去るのである
「これが二十三年間朝鮮美術界の先頭に立ちつづけ

p030------------------------------------------------------------
苦しみつヾけた山田新一の姿である。これでよいのか、こんな
姿に甘んじて果つべきか、きっと々々・・・」

然しこうして日本人として正式の然もマッカーサー司令部直属の
ミリタリーオーダーを持って今は外国になった朝鮮に最
初に乗込む自分である。
貧しい本当に貧しい境遇に落ちて了った現在ではあ
るが、我乍ら自分の心には何かひろやかなものが生れ
ようとしてゐる。
八時半船は埠頭に入った。オーダーの検査が一寸あっ
たヾけで、ジープでホテルへ、R・T・Oで六時半夜行
京城行列車のパスポートを貰ふ。大尉と二人で市
中の見物をする。何よりも物価の高いのに驚かされる
釜山の町はほこりだらけで荒れてはゐるが治安は
大分よくなったようだ。

p031------------------------------------------------------------
巡査はダブルボタンのユニフォームで走廻ってゐる。騎馬
の巡査も走ってゐる十字路の交通整理は呼子笛の鳴り
つヾけである
三時鏡一明氏に会ふ。一体に鮮人は三八度問題で一番
なやんでゐるらしい。次に学習である教科書[03][04]いし美
書を読む為には日語からの二重翻訳にたよらなけ
ればならないし 国民学校の三年も中学の三年も
全く同じような課業をつヾけてゐて 向学心の強い
学生の多くがも一度内地の学校に帰って勉強したいと
考へてゐるらしい

p032------------------------------------------------------------
米一升六十八円といふ、靴やシャツなど内地よりずっと高い

正午ホテルでの食事を許される。
パイナップル、大きな骨つきのカツレツ、やきたての熱い々々パン
お砂糖とミルク自由に入れられるおいしいコーヒのおか
わり々々あヽ何年食べなかったか、大きなクリ
ームパン、 キミ子や、子供達に食べさせられな
いものだらうか。
食卓では通信班の少佐と一緒だった大尉は
少佐から朝鮮の事情をつぶさに聞いてゐた。矢張
三十八度が最大関心の問題と言はれ、之を何とかして
撤廃するのでなれれば南朝鮮に残されるものは
若干の農業と労働力のみであるといふのである

p033------------------------------------------------------------
 晩餐を五時半に再び通信少佐とテーブルを同
じくしてすませた。六時十分前に乗った 内地と違
って将校は一等寝台へ、軍務庁関係鮮人管理と
一緒に自分は二等寝台に乗せられた。
 列車は三十分位延発した何度もパスポートの
検査があって最后の時に最も若い鉄道員が自
分に対して失礼な態度を示した。其結果は
却って車中の朝鮮インテリゲンチャは自分に対
して非常な関心と尊敬の態度を示すのであった
内地の近況に非常な興味を示し且朝鮮の
前途殊に技術方面教育方面の前途に
水産試験所技師
不安を持てゐるらしく又日本及朝鮮に控る

p034------------------------------------------------------------
共産党運動には完全に悪感を抱いてゐる如く
見受けられ殊に最近の九〇〇万円紙幣偽造
事件には挙国的遺憾の意を持ってゐるらしい
何人もの青年達からの質問責に会ひ大邱も
過ぎ金泉も過ぎ一時半にもなってやっと
短い眠りにつくことが出来たのである。

五月十八日
列車は一時間近くおくれて天安で五時だった。夜が明ければ
車窓の右も左もなつかしい思出ばかりだ。
わずかばかりの小雨が降ってゐる 昨夜来車中をあっちへ
連れて行かれたり、こっちへ連れて行かれたりしてゐた
十二三才位の片眼のない可愛らしい少年は沖縄の者で
戦争で両親を失い、自分も隻眼を失ったものヽ由

p035------------------------------------------------------------
七時少し過京城着。元二等改札口の前の改札人の
タマリがRED・CROSSコーヒー店になってゐて盛に
温いコーヒとドーナッツとを提供してゐる。アンダーソン
大尉の口添えでやらかすことが出来た。例の沖縄の少
年(これはすっかり米軍のユニフォームでLt.AnSerin
といふ支那二世らしい将校に連れられてゐる)もうまそう
に食べてゐる。
八時半ジープが来て小雨の中を半島ホテルへ。幸にして
雨はやんだ。入口の処で一時間位待たされる。アンダーソ
ン大尉は〝半島〟(米15) 小生は〝東亜〟(米16)ときまった。とに

かく行ってみる。朝鮮人の代理デスクに会ふ 電話
はたしかに聞いてゐるが、部屋の都合は管理人の
Ellise中尉でないと判らないとのこと。待つ やがて帰って
来たのは背が高くて八字ヒゲをチックてピーンと立てヽ
-----------------------------
(米15)この後に出てくる「HANTO」「HNTO」などはこの「半島」
   のことと考えられる。
(米16)この後に出てくる「トンガ」「TONGA」などはこの「東亜」の
   ことと考えられる。

p036------------------------------------------------------------
ゐるアメリカ人としては極めて類の稀な趣味の人で快23号室を
提供してくれる。日本間だったのを畳と壁紙をはがし荒れて
ゐるがテーブルとマットを敷いてある。ボーイが掃除してくれる
疲れが一ペンに出たので、寝てゐると、デスクサージャントが来て
「居心地はどうだ、マットやシーツの工合は大丈夫か」と親切
に聞いて行く。
晝食はカツレツ、こしポテート、さやえんどう、桃のかんづめこて
こて。
一時過半島ホテルへ行き、アンダーソン大尉を誘ふ。玄関で
熊沢といふ元満鉄社員だった三十五六才の人に話かけられる
日本人通訳等全部が引揚げたあともずっと引留められてゐ
るとのこと語学も達者だし相等実力ある機械専門の技術家
らしい。再会を約す。 アンダーソン大尉と本町(道03)を歩く
三越にも入る。浅川号(道04)に行き金致鳳君に神保君依頼の
件を頼み且熊本嬢依頼のこともたのむ。
-----------------------------
(道03)今のミョンドン、昔はチンコウサイと言ったらしい藤田(藤田道子
   の夫藤田豊作(故人))から聞いた。
(道04)画材店?
p037------------------------------------------------------------
金致鳳は仲々しっかりしてゐて良い。然し、奉祝展「庭に憩(米17)ふ」
キミ子「五月の庭」小生の一五号静物、一〇号「カーニュ風景」
キミ子一〇号「静物」等店に掛けられて居りいづれも朴泳
善から借りし−−大きいの−−小さいのは買受けたとのこと。アンダ
ーソン大尉俄然大憤慨。違法だと云ふ
金君に對朴君のことよく頼んで辞去。
夕食は 物凄ク多量のアイスクリームが出る食後再び浅
川号に行って見る。李覧(?)照君との連絡どうしてもついてゐない
晩餐のチョコレートアイスクリームの分量味、すごい

五月十九日
朝食 ホットケーキ大きいの二枚にハンバーグステーク
おいしい。 午前中古市氏訪問、池田氏にも会ふ。
午后一時アンダーソンに会ひ徳寿宮へ行く。牡丹満開
-----------------------------
(米17)p050の「疲れたので小"X"」とp060の「庭に"X"ふ」
   および本ページの「庭に"X"ふ」から「憩」と判断

p038------------------------------------------------------------
角力大会、日曜学校大会あり博物館を見る陳列
大分変りやヽ粗野になった感じ 趙沢元、張(?)銀
[05]夫妻等に会ふ。話はつきない 沈影君が呉(?)行
最終日に身に六弾を浴び奇跡的に助かった由
金晟鎮(十二時過)訪問少し待たされて会ふ。二十二日
の誕生日を大学官舎で催して頂くことにする
午后三時大尉に別れてから李甲洙氏訪問不在
置手紙する。遠藤、中尾両氏依頼の家いづ
れも不在。
夕食はすごいオルドーブルで大きなチーズの角切、ソセージ
冷肉等々

p039------------------------------------------------------------
五月二十日
劉削(?)[06]氏訪問始め門前で本人かどうかを非常に恐れるような表情であったが
話て見ると実に気持ちの良い人で武藤氏の安否を色
々たづねこれ又小野友之氏からも便りのあったことを喜んで
ゐた。
十時半朴泳善へ。不在。二妻君出てくる。画室の中も
殆ど其侭。書棚も額縁等も昔の侭 それに朴君
元々の所蔵品が加ってにぎやかなアトリエである 大尉
はしきりに「なんといふ惜しいことだらう。良いスチュヂオだ
のになー。」「そして又何と朴君は儲けものをしたことだ」
と幾度も繰返す。明日午前十時に再び来ることを言渡して
辞去。 ホテルで食事。 午后二時李甲洙氏
訪問。夫妻共に大歓迎で紅茶の接待 大尉は李
甲洙夫人が美しいので大満足。「猪熊のビルマ建設」(米18)
「鶴田の台湾」(米19)を同所で「田村、佐野部隊長」(米20)
-----------------------------
(米18)猪熊弦一郎「○○方面鉄道建設」
(米19)鶴田吾郎「志願兵に別れを告げる台湾人」
(米20)田村孝之介「佐野部隊長還らざる大野挺身隊長と訣別す」

p040------------------------------------------------------------
「清水、汪橋衛」(米21)「鶴田高砂族」(米22)を観水町の同家で接
収。すべてトンガに持帰る。
夕刻 浅川号で、金仁承、朴泳善、 其他の諸君に
会ふ。 李権照、金致鳳の両君と前の支那料理屋
でビールを飲む。
朝鮮美術同盟、朴泳善、金仁星、金周経。
 〃 造形美術協会、金晩炯、逍炳恵、[07]
          喜淳
 美術家協会 高義東、
 金段鍋、沈亨求、金仁承、裴雲成

五月二十一日
午前七時半 安特出氏訪問。不在 夫人に遭ふ。寺田氏
最大願望のものはすべて駄目。衣類は完全と失ひ
-----------------------------
(米21)清水登之「汪主席と中国参戦」「工兵隊架橋作業」
(米22)鶴田吾郎「スタンレー山脈の高砂族輸送隊」

p041------------------------------------------------------------
たりが少量は行李を破って盗まれてゐる。二ケの内一ケを
整理し九時半、半島へ。十時半朴泳善
へ。決して彼は明朗な表情でない−−−
大尉の厳たる戦争記録画接収命令に非常に
ウロタヘてゐる。彼は亀頭鍋三郎の絵を二つ
に切断して正に百二十合を半完成迄仕上げつヽ
あり。更に又小生の八十号「働く俘虜達」(米03)を
カンバスとして浅川号に売却したことをも苦しそ
に自白せねばならなかったのである。それ等の
行為に對してはマッカーサー司令部に電報を以って
回(?)訓されることを大尉から言明されるに及んで彼
の顔面は蒼白化した
自分は今度京城に来て数日朴泳善に對する
-----------------------------
(米23)山田新一「仁川俘虜収容所における英豪兵の作業」か?

p042------------------------------------------------------------
 自分の感情を整理すべく随分努力した。其結論
は妙に物質的要求をしたりして自分の過去二十数
年間に亘る朝鮮美術界に措る業績と名聲
とを汚したくない 唯求める道は朴君の気持の上
の感謝−−−だと考へた。
 然し彼には自分の気持ちは判ってゐないし唯もう変
にゆがんだ感情だけしか動かないらしい。
 藤田、小磯其他を持参正午帰宅
一時から大尉同行 李甲洙氏沢に招かれる
いつもの如く、李夫人の「ロヴリー」は繰返され
十二分に御馳走になって帰る。浅川号に
寄って見たが、朴泳善から何等のリポート
もない。

p043------------------------------------------------------------
 夕刻再び浅川号に行き今度は金仁承、朴泳
善 其他に会ふ。 五時再び半島ホテルの前で
李覧照氏の処へ行く中々のもてなしである
特にエビのマイヨネーズはうまかった
十時就寝

五月廿二日(誕生日)
 七時半安特出氏へ。夫人のみ在宅。寺田氏荷物を整理
の上、一梱だけ正午過にホテルへ届けて貰ふことにする
伊丹市依頼の催氏訪問不在。然しお嬢さんが親切に
勤先大成商会に電話してくれて一時頃会社で会ふ
ことにする。 第二高女はもう米軍はおらず学校
らしいが荒れた感じ 雨の日風の日随分苦しい時でさへ

p044------------------------------------------------------------
キミ子が通ひつめた処である。道である。三阪学校は鮮人
の小学校で小さい生徒達の聲がにぎやかに聞える
サヌキヤの処へ出て、元の脇氏の処へ行く。玄関の処に
マリ公がゐて盛に頬をスリつけてジャレツク彼女ももう老
齢である あんなに溺愛してゐた元の女主人をどんなに
思出してゐるであらう?
姜氏も洪氏も居らず他の表札にて<女忍><女廊>(?)(米24)の美しい
若き夫人が出て来て余り要領得られず結局三[08]
町とのことであった。
駅前二見旅館跡の世話会に寄る。最近毎日北鮮
引揚千−−二千とのこと全く乞食姿 見たヾけで胸がつかへ
涙が出る。食事、[09]療を又金三十円づつを與えて
ゐる。古市氏の部屋で前城津府[10]吉峯氏に会
ひ更に元蓬莱屋で会談。北鮮の荒涼たる事情
-----------------------------
(米24)<女忍><女廊>は、<>内の二文字が偏と旁の文字

p045------------------------------------------------------------
詳細を聞く。晝食後 浅川号に行き電話した上でやっと
崔成崑氏に会ふ。仲々立派な感じであるが、伊丹氏出発
時三万円立替て居り現在の十万円以上に相等するから
又諸種の状況判断の結果は何も返還出来ないとのこと
夕刻一度疲れてTONgAに帰り五時−−−五時半
HNTOで大尉を待ったが遂に帰らず 徒歩で大学官
舎 金晟鎮博士に行く  小生の誕生祝で
ある。
 金晟鎮博士、李甲洙博士、趙沢元氏、沈
影氏、趙君の通訳、それだけが会食
した。
 山家総長の話、船田大塚両教授の話 故高氏の話
中々尽きるべくもない 朝鮮に帰化しようと頑
張った為に家もピアノも一切を失って帰国した竹
井教授の話は一番哀れであった

p046------------------------------------------------------------
帰途 李甲洙博士の案内で姜錫勇氏を雲泥
町に訪れたが、三清町に越したとのこと。二三軒
洋服屋をひやかし、李博士宅で山家博士の
ムービーカメラと双眼鏡を預り十時帰宅就寝

五月二十三日
七時半劉承益氏訪問武藤君の荷物を片づ
けて見る目ぼしいものなし。結局武藤君希望の
若干品の外は売却することに相談一致、一應
別れる。十一時半金致鳳君と再び行き古カン
バス、スケッチブック、クレオン等を金君に二五〇
で引取って貰ひ、ボロヤを呼んで布団、衣類
等の取引相談。始め五〇〇といふヒドイ

p047------------------------------------------------------------
次に七〇〇になり一〇〇〇になる時間の都合があるの
で一五〇〇を主張してホテルに帰る。
一時大尉と一緒に劉氏訪問記録画三点、自分
の荷物を取り、朝鮮日報に寄る。洪氏缺
勤 置手紙残してTONgAへ。それから新堂町
の金仁承アトリエへ。中村研一の記録画発
見。帰館(米25)。五時Huss.YANO訪問明日
を約す。実際不思議な二人である
夕食後、Singer,Lee両人とジープ
でLT.iTerker訪問之高瀬氏住居
仲々立派五六名の士官が畳の部屋
の靴の侭使ってゐる不思議な感じ
-----------------------------
(米25)他のページから「館」と判断。
(009,012,017,020,021,038,044,050,059,
060,069,075,077,079,083,084,094)参照

p048------------------------------------------------------------
L.T.日本語、佛語仲々うまい。佛壇、道具
等のことから、茶道具、等の説明させられ且
東京へ帰ったら(十一月)LT.及Singer共
著の日本及朝鮮印象記出版計画(劃?)小生
参加挿絵執筆を懇(?)望される嬉しく実現
を希望する。
LT.クロイター 父君オランダの人写真によれ
ばお母さん似。Mr.シンガー独逸(米26)系
Mr.Lee、二世鮮人、朝鮮語不明、鮮内に家
なく夫人は大田の実家へ帰ってゐる
三人共特殊任務で長く有楽ホテル(道05)、N.Y.ビル
で働いてゐた由。朝鮮及朝鮮人に比してあらゆる日
本の優秀性を認めてゐる
-----------------------------
(米26)文脈から「逸」と判断
(道05)有楽町あり。

p049------------------------------------------------------------
十時過ぎ辞去、十一時半就寝

五月二十四日
 御前七時半、金致鳳不在、途中李端求に会ふ清香園、センタクモノ貰ふ
遠藤氏依頼の−−−−訪問非常に快く話しすべてのことOK
中尾氏−−張麟淳氏同様 海(?)[11]の人蘇聯及
共産党を憎むことしきり。十一時半迄話込む。金致鳳
に寄り十一時四十五分帰宿晝食アイスクリームうまい
一時半島へ。CAP、一時半やっと降りてくる。朝鮮
日報へ。洪君に会ふ。三時半を約す。青葉町へ。朴泳
善在宅。しばらく待って趙炳恵ヘ。夫人記録画四枚
提出。(栗原のもの最大(米27))新井淳平へ。不在。一應
東亜ホテルへ。CAP.をHANTOへおくり自分のみで
ジープによって朝鮮日報へ。洪君玄関で待ってゐる
同乗 洪君宅へ 洪夫人に始めて会ふ 女の双生
-----------------------------
(米27)栗原信「怒江作戦」か?

p050------------------------------------------------------------
児十才位の可愛らしい、朝鮮酒二杯、「本間ウェー
ンライト」(米28)持参して帰宿。疲れて小憩(米17) 夕食
後六時半 Huss.YANO.住居へストデニ
ーも帰って来て九時半迄話込む

五月二十五日
七時半外出金致鳳で少し話込む。本町を通って李
巨福氏へ話はうまく進む。張麟淳氏訪問不在
書画の準備は出来てゐた。花園町の藤村弁護
士跡 崔弁護士訪問、事務員共に在宅懐し
がる。書式大全と六法全書を預る。弁護士を同行
してTONGAに一應帰り十時HANTOへ十時半
ジープが来て同行市役所へ。新居君居る
同君宅へ 記録画七枚接収十一時四十分
帰館
-----------------------------
(米17)p037参照
(米28)宮本三郎「本間ウエンライト会見図」

p051------------------------------------------------------------
大尉 小生居室に上って晝迄話込む。 一時半−−二時
写生外出を約したれ共 来らす。 ぶら々々出掛ける
長谷川町の処で 李明孝君に会ふ。喫茶店に連れ
て行かれ、趙沢元、李創用 両君に会ふ。
李明孝は中村の秘書だったもの妻君は日本人、
話相手も、映画もラジオも日本語のなく洋裁の趣味のみに生き
るとの話。 李創用君は
高麗映画の代表的(米29)監督 最近一本作っ
た由。フィルムのないことが絶対悪條件の由
趙君とは明日会ふ約束する
明治町は上海、天津等引揚ハイカラ族の巣の由
矢張裸で帰って来るものも多くインバイも多いとの
ことなり  浅川号に一寸寄り李巨福、
張麟淳より荷物を運ぶ
-----------------------------
(米29)文脈から「的」と判断

p052------------------------------------------------------------
夕食後 安特出へ 六つだけ貰ひ相談の結果三つ
を世話会とする。御馳走になり八時辞去 安氏は
二十六日朝発 東京への由。
本町二で古市、池田両氏に会ふ三つ他田氏
に渡す
Lee氏大田に帰郷、シンガー氏しきりにクライター
中尉訪問すヽめる。

五月二十六日(日曜日)
朝食、文旦、ポリジ、トースト、ベーコン、2フライド
エッグス、コーヒー。
七時半外出 明治町でチエスターを買ひ、本町四で靴を買
ふ。徒歩で旧船田邸 李桃代夫人に会
ふ。玄関で「船田さんの便で・・・」と云ふと奥から
「お母さん、船田さんの々々」といふ子供達の驚

p053------------------------------------------------------------
喜の聲が聞える なんだか涙ぐましくなる。 金夫人
小柄でしっかりした物腰の 然もおとなしそうな人 奥の
日本座敷に招ぜられる。
船田先生の尊敬信愛談は尽きない。荷物を二十七日夕
浅川に屈(米30)ける約十時辞去
趙沢元 丁度 玄関に居た。 金[12]雲夫人は日曜にもかかわら
ず病後のやつれに美しい化粧をして撮影所へ
出掛ける処。 しばらく話込んでから 沈享求
を訪ねる可愛らしい五つと三つの女の子。夫人は仲々
愛嬌よくもてなす 根津君依頼の件をたのんで
十一時四十分辞去。黄金町四丁目迄電車にて
宿に帰り晝食。二時迄休養。朴泳善を訪ね
て終決しようと思ひ金致鳳に行く金致鳳と色々
話してゐる内に朴泳善訪問を思ひとまりすべてを
-----------------------------
(米30)「届」の誤記と思われる。

p054------------------------------------------------------------
成行にまかすことにする。 四時一旦帰り夕飯
五時半李巨福訪問。假徭(?)、食堂園へ同行する
南君が待ってゐる 御馳走になってから 旭町の
LT.KLAWITER訪問。茶を飲みピーナッツ
をつまみ乍ら快談。 「朝鮮人は独立希望
としてどんな考へ方をしてゐるか」
それは米軍の少しでも頭のある将校達に取っては
一つの大きな疑問等らしい
「始め進駐して来た時程の歓迎心を持ってゐない
ヒョットすると一部には反米分子もあるらしい。殊に對
蘇問題が思はしくないことにシビレを切らしてゐるのでは
ないか。」
「日本人の民主々義化、各政党に對する国民に本当の気
持、天皇制について」そんな事がそれからそれへと聞

p055------------------------------------------------------------
かれて、今夜は我々三人の藝術家らしい、或は文学者らしい
気持がピッタリ心と心に触(?)れるように覚えられる。
「朝鮮人の心にも習慣にも余程日本人とは違ったものが
あるようだ。我々は今後その点に相当注意を拂って行
きたい。君の二十三年間に亘る朝鮮在住経験によって素
直にそのことを話して貰ひたい。我々に取っての最大の参考
となるであらう」とも聞かれた。
十時辞去するに当って男物羽織二枚をおみやげ
に貰った。 嬉しい友情である。

二十七日(月)
朝食 アップルジュース、ポリジ、フライエッグス
ヴィアナソセージ、トースト
張麟淳氏訪問 金の件頼む

p056------------------------------------------------------------
李巨福に一寸より 更に李甲洙に会ふシンガー
クロイターの件あっさりことわられる 九時三十分半
島へ、十時少し過大尉と徒歩で市役所へ。
朴得淳君、厚生部長に会ひ、更に府民館で
アンダーソン少佐に会ふ「天津付近戦争」図(米31)
行方わからず 朝鮮人通訳の言をたよりに長谷川町
YMCAに行く。ホテルになってゐる デスクサージャン
ト良い男 ロービール加納の絵と相對して
完全に保存されてゐる 兵隊隊(米32)みんな寄
って来て、良い絵だって誰でも誉めてゐるよ。貴
方がこれを描いた画家か−−−と歓待して
くれる うれしい。
-----------------------------
(米31)山田新一「天津南海大学付近払暁野砲戦闘図」
(米32)「達」の誤記

p057------------------------------------------------------------
正午少し前大尉に別れる
 晝食 野菜入 コンソメ、ミンチボール 人参 むした
                         大きな馬鈴
                         薯二つ切
       アップルパイ、コーヒ

休養の後一時半 高尾氏依頼の自覚社島藤
良吉氏訪問 若い人。金はある由。交換も出
来るらしいので依頼する  大成社に崔成昆氏訪
問 不在。  食糧営團エノリー少佐訪問 不在
小田、高尾両氏よりの手紙を預けて帰る。明治町で
李海善君に会ひ、高木鞄屋の所で金晩炯に会ふ
浅川に連れ込み井原君の「本間、ウェインライト」
の絵のことを追求する
「朴泳善に貰った。カンバスとして使用して了った
みんな二十号。十五号位に切って了った」

p058------------------------------------------------------------
 とまるきりあきれた話しである。 今日中に朴泳善に連
絡して明朝九時半に必ず両名が青葉町のアトリ
エに居るように厳命する
 三中尉にファーラー中佐訪問 既に帰国とのこと一言も
御礼の言へなかったのは残念。
 金致鳳宅ですきやき御馳走になる 金桃枝
夫人から電話にて家のことでトラブルあるらしく船田氏
荷物は明日届ける由。
 朴東植代理の者来る荷物は青葉町の家から
金載極が無断で持出した由。
夜古市氏に会ひ受取貰ふ。現在の鮮内が
内面的には甚しく親日傾向なる話を聞く

p059------------------------------------------------------------
第一期志願兵(現在国防軍 妹二人)某
君の老父が亡妻(日本人)の縁辺を頼って渡日
した話等面白い。 十時過帰館

五月二十八日
 七時半外出 孝子町に宇野氏依頼の孫在[13]
氏を訪ねる案外すぐ判ったが本人田舎に帰って
二十日程しないと帰城せざる由 相手が夫人では
話にならぬ それからそれと家を訪ねて歩くの
はめんどくさいが 意を決して三清町に姜鍋
夏氏訪問。これも割合早く見当り丁度在
宅で見当り久振の面会を喜ぶ。書類

p060------------------------------------------------------------
貰ふ 郵貯通帳は全部取上げられし由
書籍に就ては取りにやることを約して辞去
九時半半島へ、十時少し過ANDERSON大尉
同行 朴泳善へ、金晩炯保管の「酒井
ヤング」(米33)は破って居らず 結局 浅川号に届け
てある由。 朝鮮人のウソツキには今更腹が
立つ。ジープで浅川号に廻り「酒井ヤング(米34)と丁度
届けられてゐた船田氏行李一ケとを受取りジープ
で帰館 アンダーソン 遠藤氏のトランクをしき
りに欲しいらしく東京安着の上進上することに
約束する
-----------------------------
(米33)伊原宇三郎「香港に於ける酒井司令官、ヤング総督の会見」
(米34)閉じ括弧脱落

p061------------------------------------------------------------
四時資美堂で朴泳善に会ふ 色々あやまる支那
料理でビールを飲み別れる 五時 本一 で写真を
撮す。シンガー氏、クロイター中尉実に信愛を現
はし「有名な画家と写真を撮すのは自分たち
のプラウドだ 我々も勉強して必ず有名人になる」
と言はれる恐縮に耐えない
資美堂で両氏に「庭に憩(米17)ふ」とキミ子の「五月の庭」
を見せる  丁度朴泳善がまだ居たので七時半
にも一度資美堂で落合って青葉町のアトリエ
へ行くことを約す。其のあとで金致鳳から
朴からの金は只の千円と聞いてそれも金致鳳
に融通を頼んでの話とはあいた口がふさがらぬ
-----------------------------
(米17)p037参照

p062------------------------------------------------------------
食卓でシンガー氏に一緒になる 「天津戦
闘」一時半に見に来ると約束
仭Y.M.CAに行って見ると朴得淳君がドライバーを
持って手伝ひに来てゐたが、昨日に反して今日はデスクサー
ジャント氏、中尉に会ってくれ更にLT.COL.WILIAMS
の許可を得てくれとの話 そこへ、LT.KLWITer及Mr
SINger二氏が来て、管理人のLT.に電話をかけた
り色々親切にしてくれ「天津(米34)の絵に大変関心してくれたり
であったが 結局 其足で半島に行く。CAPT.水彩
を描いてゐる。今度のは仲々奇麗。 Y.M.C.A.の
事は明日迄にアレンジすることにして辞去。
[14](米35)藤[15](米36)吉君の処へ行く。[24]紙の売手は南鮮へ
帰った由。今朝電報を打ったとの事 明日を約す
-----------------------------
(米34)閉じ括弧脱落
(米35)[14]は「島」:p057参照
(米36)[15]は「良」:p057参照

p063------------------------------------------------------------
TONGAに帰り、SINGer、KLOWITer
Leeと四人で食卓 [16][17]ミンチボール
で料理余りうまくない アイスクリームはう
まかったが−−− しばらく休んでジープで
TAKASE HOuSへ。ビールを飲むドライ
バーも座敷へ招いたので大喜び。KLOWITer
の人間味の美しさ、増々好きだ。 七時半資
美堂へ行く 朴、ワケノワカラヌ少々英語をあ
やつるナマイキそうな友人を連れて来て一緒
にジープに乗せてくれと云ふ パス持ってゐる
のかと聞いてやる いささか図々しい
アトリエで三十分位遊んで帰る。

p064------------------------------------------------------------
李巨福サンテーラー迄ジープで送って貰ふ
洋服仕上げ寸前、張麟淳氏をも訪ねる 三十
日迄に必ず一つは都合したいと思ってゐるとのこと
気持ちよき人。金致鳳に寄り朴の不侠
を談じて帰る 船田氏荷物の整理でやすん
だのは十二時

五月二十九日
朝食 トマトヂュース
ポリジ、ホットケーク、ベーコン、コーヒ
七時半外出。資美堂のチョンガー
を連れて姜鍋夏氏へ 鏡貰ふ

p065------------------------------------------------------------
書籍の事は洪鍾観(?)氏不在で不明なれ共
明日中には返事するとの事
九時半HNTO 632 部屋で元[18]
木堂、朝鮮ホテルにゐたボーイに会ふ
奇遇。 YMCAの絵の問題解
決の由。一人で行きボーイに手伝って貰い
壁から下して解体。島(米35)藤良ちゃん訪
問EXまだ具体化せず 晝食後洪
祐伯君と同行駅に行く 申旅客
主任 木浦出張の由。 尚昨夕洪
君阿[19]町の家を訪ねたれ共鍵が
かヽってゐて無人なりし由
-----------------------------
(米35)最初「高」と読んだが、「島」と考えられる:p057参照

p066------------------------------------------------------------
洪君引続き努力する由なれ共 佐伯さんも本
当に運のない人だ。 其侭、漢江通の六誠
貿易会社に行く白(向?)弘植氏不在。又DIv
HQに行くBerger大尉居る再会
を喜ぶ。ケアハート中佐、サガラ少佐、デビ
ス大尉十一月には全部帰国せる由 元龍
山官邸内のBergerの部屋に行く
すっかり綺麗になってゐる キミ子の花の絵
三十号 小生の絵葉書全部壁にかヽっ
て居り更に小生の船の絵八号町で買った
といって見せられる(朴泳善の売却)

p067------------------------------------------------------------
嬉しい。チョコレートを食べブランデーを飲
む。キミ子の傷は其後大丈夫か攸は元気
かと聞かれる なんとも嬉しい再会。[20][21]
大尉の事、小[22]大佐の事話はつきない。
土曜日(一日)午后六時の再会を約して別れる
帰途白(向?)弘植氏居る。柳井君の荷物
は全部売った由代金四〇〇〇、及運賃
預り五〇〇 明日くれると約束 安特出
の家を訪ねて帰る一日中随分歩いたので
疲れた ロビーでLT.KLWITer

p068------------------------------------------------------------
Singer、Leeに会ひすぐ食堂で
一緒に会食。
 コンソメ(野菜入)ヴィアナソーシリン
シュークルット、ホワイトビーンズ、
プディンク(皿一ぱい)コーヒー満腹
七時 金致鳳、朴の事二つならよろしい
一つは受取らぬと伝える。八時半
PosTOFissで安夫妻に会ふ
支那料理でテンプラ ビール
九時古市氏気持よく会ってくれる

p069------------------------------------------------------------
十時帰館

五月三十日
六時起床蒐集記録画の整理
朝食、アップルジュース、アンズの砂糖煮、ハンバーグステーキ、フライ
エッギス、トースト、コーヒー  朝食後更に絵の整理。米人、見物
「見事な絵だな、みんなお前が描いたのか」
「大した値段だらう」はアメリカ式
九時半 HaNToへ 今日は米陸軍の祭日
の由 部屋に行ったがCapT.不在同室の

p070------------------------------------------------------------
CaPT.の話では正午には帰るだらうとのこと。
金致鳳に寄る。 朴の件二つで話をつけてくれと
依頼。 李聖照氏に会ふ喫茶、長谷川
町で趙鍾立氏に会ひどうしてもと引張られて
喫茶店へ 日本の事情を色々聞かれる。
十一時朝鮮日報へ洪君不在 置手紙して島(米36)
藤良ちゃん処へ。カモまだ現れぬ由鏡
台の事頼むまとまりそう
晝食。 ポタージュ、カツレツ、白豆、ジャガ
イモ、ニンジン塞の目切パターいため チョ
コレートアイスクリーム 水蜜(道06)かんづめ二切
コーヒー
-----------------------------
(道06)モモのこと
(米36)最初「高」と読んだが、「島」と考えられる:p057参照

p071------------------------------------------------------------
十二時四十 朝鮮日報へ。洪君矢張不在
一時一寸過半島ホテル アンダーソン
矢張不在、金致鳳に一寸立寄り一時
四十分よりぶら々々歩いて明倫町一丁目 金
桃代夫人。屋根裏部屋で船田氏のトラン
クを明けようとしたがムン々々暑くて
汗だらけになったがどうにもならぬ 断念
金氏妹さんキリョウは余りよくないが大変
よい人 根津君依頼の朴東植氏を
一緒にさがしに出かけてくれる

p072------------------------------------------------------------
交番の新米巡査がいヽかげんのことを教え
てくれたので大分逆もどりまでさせられた上結
局競馬場のすぐ前迄暑い中を歩か
され 床屋さんにたどりつく朴東植氏は
田舎に行って不在といふ。
東大門迄歩き電車に乗って帰る 今日は随分歩
いた。金嬢も仲々ハキ々々した良い娘さん
「日本の戦犯者は」「天皇様は」と其
質問振りは仲々しっかりして居り
「朝鮮は駄目です。朝鮮人は駄目

p073------------------------------------------------------------
です まるで野に放たれた犬です」とは至
言である。 東大門の停留場でグチャ々々
になってゐる女学生を一人々々たしなめて一列
励行をさせた立派なインテリお嬢さん振
には感心させられた 黄金町四丁目で
一語も出さず眼顔で丁寧な別れを
表現して降りて行った新朝鮮の輝かし
い女性として 其将来を祈る気持
で胸が一ぱいになる。
黄金町入口で下車したら偶然洪祐

p074------------------------------------------------------------
伯君に会ふ。 佐伯さんのことで京城駅に何度も足を運
んでくれ相手の申氏の姓名、詳しい住所等一切調べてくれ
たのであるが、勘じんの本人が乗務で木浦へ行った侭コレラ発
生の為其列車が運行停止になって京城に帰って来られ
ない由。 兎に角洪君を支那料理屋に同行して
労をねぎらふ。佐伯さんも運のない人だと思ふが念の為
明朝も一度洪君と申氏の自宅に行って見てもらふことにす
る。
ところで朴泳善君の話が出る。 小生離鮮の当時あれほど
かたく洪君に譲渡することにしてゐた水屋、洋服ダンス其他
に就て 其後洪君が貰ひに行くと一切言を左右にして
相手にならず 且、絵の具やカンバスを買はぬかと
押売に出た由。「あの人は絵かきじゃありませんよ・・・」
と実際腹の立つことなり

p075------------------------------------------------------------
洪君に別れて六時少し前帰館 すぐ食堂に入る
 コーヒ、チーズの大きなタンザク切、挽肉チョップ、押
ジャガイモ、白豆、アイスクリーム。
夕食後 一寸 マットに横になった上で 七時外出。良ちゃん
処へ一寸寄る。カモ未出現。鏡台の事は成立。それか
ら吉野町の 安特出氏へ白弘済氏から四五・取立て
ヽおいてくれた。親切な人だ。
 東京時代、苦学して開成中学夜間部卒業の話
奥さんと一緒になったが貧乏で金がなくてお産に困り施
療に入れた話、パンの切屑を十銭位買っては食べて暮
してゐた話 中々面白い。  お茶(昔の立派なブリキ
かんに入ったもの)を古市さんにとどけてくれと言ふ引受
ける。
神宮の方へ出て下りて行く。今日は随分疲れて居り

p076------------------------------------------------------------
お腹の工合も余りよくない。フラ々々する 古市氏すぐ部屋
にゐる。リポーターの持って来た朝日新聞に読ふける 二十一日
吉田内閣成立のもの  お茶大喜び
 「熊におさへつけられてゐると思ってゐたら今度は虎と
狼が一度に来て苦しめる」との話  そこへ世話会が
「今日は遂に平壌がくづれました−−−」との歓聲
報告。 平壌から第一回の脱出三百数十名の列
着(列車)嬉しいことだ。
 張麟淳氏を訪ねる中尾氏の分七つ受取る
「残りは後日必ずとのこと」
 平壌がくづれた−−−の話から これら鮮人の脱
出協力は反共傾向の現れで既に昨冬か今春
彼地数千の専問中等学生が反共ソ運動

p077------------------------------------------------------------
をして 数百名の死傷者と三百数十名の投獄者を出
した話。 固く手を握って別れる
李巨福に寄る。洋服、半パンツ出来てゐる 南方
シャツのみ 出来ない。 金いさヽか高いと云ふ

十一時帰館 やすむ

五月三十一日
 六時起床  少しく絵の整理
 朝食、ピーチジュース、ポリジ、フレンチトー
スト、卵子とカンヅメ糸肉のグチ々々、コーヒ
 七時五十分HuSS.矢野訪問
ストウデニーのおっさん七十才の寄る年波 高楠、和
田、久保、田中各教授 殊に田中教授には

p078------------------------------------------------------------
よろしく伝えて欲しいと何遍も々々繰返して 自分の手を固
く握りしめては頼むのであった。 良ちゃんの処へ廻る。
鏡台取りに行ったといふ事。一二用件を留守の人に頼
んで辞去。金地鳳に寄る。九時半ANDER
SON訪問。ASCOMCITYへ行った由不在。
小田通訳官、松田支店長依頼の処を訪ねたが
よく判らない引越したの?
小林鉱業(道07)訪問。李重[23]氏は辞任せる由代り
に黄氏に会ふ落着いてしっかりした感じの青年
会社はすべて旧従業員のみの結束をつヾけ異分子
の潜入策動を極力防ぎ鮮内で最も健実活
發な稼業をつヾけ軍政庁よりの命令配資も鮮内
最高額を受けてゐる由  金致鳳にまわったが
-----------------------------
(道07)金山小林氏は終戦同時に殺される。

p079------------------------------------------------------------
龍山に行て不在。  帰館  今朝行違ひにCap
T.来た由。今夕六時半 TONGAに来
る由。  晝食。SINGeR氏と一緒になる
今朝玄さんに貰った写真渡すお互いに記念の文字書く。
 パン、コーヒ、スープ(野菜)挽肉トマトソーテ
 グリーンピース、ポテトピュレ、梨のかんづめ
一時朝鮮日報社前で洪祐白君に会ふ 佐伯
さん依頼の払手として調べて待ってゐた旅[24][25]
務は全然別人なりし由。も一度京城駅に行
って見ようと言ふ 一緒に歩いて行く洪君の
親切は本当に心からのものであってなんとも感謝(米37)
-----------------------------
(米37)字欠落?

p080------------------------------------------------------------
へないものだ。 京城駅でも一度調べた結果も一人
申氏といふ人がゐて 小荷物係りの由。そして今は休
んでゐるが当直で夕刻出勤とのこと、夕刻
良ちゃんでも連れて来ようかと思ふ。 駅を出て
寳来屋で茶とお菓子で洪君をねぎらひ
且子供達にと菓子を七〇円程買って上げる
良ちゃん処へ寄ったがまだ帰ってゐない。南大門
市場で荷造りヒモ二玉買ふ六〇円也
金致鳳君の居に寄って見るまだ帰ってゐない
本町へ出た処で趙沢元や音楽協会のマネー
ジャーをしてゐた岸本君に出会ひ 是非にとヒッ
パラレて元の亀屋(随分キレイ 店だった処は
高級食堂)

p081------------------------------------------------------------
に連れられアイスクリーム御馳走になる 話は矢張り
三八度のこと。いヽかげんで別れる いつかサニテーラ
が紹介してくれた町総代の人に会ふ内地渡航問
題を色々考へてゐるらしい 三時半辞去金致
鳳未だ帰らず。小林鉱業、朴壬吉氏訪ねた
これも外出− 宿に帰って荷物整理
 夕食シンガー、リ両氏と一緒しきりに仁川
行を楽しんでゐる なんとか同行したいがどんなも
のか。
 ポタージュ、コルニション、チーズ、皿は大きな
牛肉一きれとコーンビーフのかたまり、ジャガイモ
そら豆、コーヒ、チョコレートアイスクリー
ムにデッカイアップルパイ 今夜は大御馳

p082------------------------------------------------------------
走だった  六時半CAPT.来る。おあわて
今日は仁川迄写生に行った由。朴まっ黒になってゐる
絵の寸法をはかり出発についての打合せをする木箱
明日発注月曜日完成火曜日荷詰め
水曜日(五日)朝京城発にきめる  シンガー氏来り
日曜日(二日)仁川行ANDERSONより許可される
八時 良さんに会ふ。佐伯さんの件たのむ。 大和町総代
氏の家へ。 十一時帰る。

六月一日
いつもより朝寝して六時半起床
朝食 ポリジ、ベーコン、フライエッグス、トースト
バター、ママレード、ピーチジュース

p083------------------------------------------------------------
 九時過出掛ける 朴得順君 府庁に不在。アンダーソ
ン大尉からのコンテを隣席の人に頼んで来る
洪祐伯君も朝鮮日報不在。自分使ひ残し絵具
八本受付に預けておく。金致鳳君ガラスの着荷
で忙しそう。MAj.CONNOLy急に外出する処で
午后一時の再会を約す。小林鉱業、朴壬吉氏に会ふ
月曜午后一時か三時半−−四時 何とかして李重[23]
氏に会ふようにと約す。 古市氏訪問。北鮮事情
つぶさに聞く。六才以下幼児九三%死亡悲惨
十二時帰館晝食
  ポタージュ、コーンビーフトマト煮、ホワイトビーンズ
  水蜜桃かんづめ二ケ コーヒ
一時CONNOLy少佐を訪ねる不在留守の人より
小田氏へ届けるもの預る

p084------------------------------------------------------------
 金致鳳に寄り大和町の申氏宅へ。眼鏡の朴氏
に会ふ。再会を約し三時半別れ、李巨福、張麟淳氏
に会ひ 帰途金致鳳に寄り 朴泳善に対する不
満を充分に語り五時帰館
 夕食、ザクーツ(ク?)カ風の丸パン二ケバタージャム、メンチボ
ール、スパゲッチイタリアン、野菜煮込、パイナップル
 のサラダ、 チョコレートクリーム、コーヒ
六時CAPT.BErGerから電話今夕のひど
い大雨で 来訪中止。 月曜日の十二時半−−一時
十五分会ふこと約束
七時大雨の中を良ちゃん処へ。金致鳳へ。更におみ
やげの支那まんじゅうを買って古市氏訪問十時迄
話合った

p085------------------------------------------------------------
六月二日
六時起床 雨はどうやら上ったが充分ではない 仁川行き
はどんなものだらう  八時半シンガー氏来り 矢野氏、手紙と攸に砂糖
仁川行を残念乍ら中止して三日夜半島ホテル
で別宴をすることに変更  九時出て金致鳳
に寄り本町をぶら々々歩く 西鮮 安岳より引揚
の両氏に会ひ色々事情を聞く。鮮人自警団其他
仲々雲助なりとの話。ソ兵近時は大分人情味ある由
若草町本願寺で十時別れ新町を経て新[26]町
へ朴東植氏不在。明午后四時金致鳳で会
ひたいと置手紙する
炎熱の坂道を敦岩町山三〇ノ四〇金炳龍で
児玉依頼件二ケOK。良ちゃん処へ運んで

p086------------------------------------------------------------
貰ふことにする。 十一時四十五分辞去。昌慶苑前(道08)から
敦化門 水標町 黄金町に。明治
町 長谷川町 と歩く 丁度一時間で帰り晝食時
間にやっと間に合ふ SINger、LT.KLWI
Ter両氏来てゐる  [27]に別れを惜しむ感
 コンソメスープ、ボイルドチキン トマトソース
 野菜、パン、ジャム、パター、ピーナッツバ
 ター、コーヒ、チョコレートアイスクリーム
町総代に寄る朴氏来て居らず 古市氏へ
池田氏と三人での別宴となり このわた、あえもの
お魚、おすいもの だけの簡単なものなれ共
久振で日本酒をいたヾく 九時半辞去も一度
沈氏に立寄ったが朴氏 仁川へ行って矢張
-----------------------------
(道08)動物園のあったところ

p087------------------------------------------------------------
帰らず十時辞去。 帰着後 荷物整理
及サル又一、靴下二 洗濯 十二時半就寝

六月三日
五時半起床。荷物整理と若干の原稿
七時半外出。良ちゃん、金致鳳、沈各氏を訪ね
李巨福から荷物風呂敷に少しだけとって帰る
九時四十分半島へ。CAPT.居ない十時半
迄待つやっと帰って来る 木箱は午后おそく
しか出来ない由 明朝八時半にも一度しっかり
した打合せをすることにして別れる 金致鳳から
包装紙と神保氏へ土産の海苔を持って帰る

p088------------------------------------------------------------
晝食後  十二時四十分CAPT.
BErGEr来る 資美堂による金君居
らず 朴泳善も来てゐない ジープで青葉町
へ行く。  朴 喰ってかかる。下省(?)漢(?)
良ちゃん処迄送って貰ふ 丁度金千万氏息
来てゐる 児玉氏の荷物結局駄目らしい も一度
沈氏と金致鳳に寄って帰る SINGer氏待って
居り半島へ行く LT.KLWITer待ってゐる然し
HNTOは駄目といふことになりTONGa帰って
夕食  大きなビーフソーテ、人参と豆
ピキュールとオーニヨン
丁度 矢野氏から五目ずしの折がとどいてゐた

p089------------------------------------------------------------
のを持ってジープで高瀬ハウスへ ビールとすしで
別宴 両氏からの贈物はチョコレート一ポンド
新しいライター、石、油、トッハュ二箱、シガレット
一ケ 砂糖少し スケッチブック、鉛筆 何とも
嬉しい友情
更に驚いたことには彼等が平家物語、源氏物語
を独訳で、夏目漱石の「猫」「坊ちゃん」「心」
を英訳で読んでゐることである「こヽろ」が最も
よかったと言ってゐた
そして日本と日本文学への関心はラフカディオ
ハーンによって最も多くを啓発された と言っ
てゐた

p090------------------------------------------------------------
クロイター少尉は佛文学ではアナトールフランス
が最も好きだと言ふ もって 彼等
のアメリカ式でない高い教養を一層知ること
が出来る
八時半シンガー氏が大和町の沈氏宅迄送っ
てくれた
更に古市氏を訪ね十一時帰宅
隣室の人やって来てしきりに何か言ふが
一向に判らん やっとCOND.を貸してくれ
明日すぐ返すから−−といふ のがわかり
呆れた  十二時やすむ

p091------------------------------------------------------------
六月四日
薄曇り。 五時半起床 少々荷物整理してから朝食
 オレンジジュース、コーヒー、乾杏果の砂糖煮、ベーコン
スクラムブオムレツ、トースト
 七時半良ちゃん処へ行き遠藤氏が残していった書
籍の処理について依頼。金致鳳不在、沈氏の処へ
一寸寄り、八時四十分HNTOへ。CAPT.A
NDERSON.荷箱まだ出来ず今夕は必
ずと言ってゐるが結局出発は更に延びるであ
ろう。  金致鳳へ。朴泳善相変らず勝
手なことを言ってゐるらしい。
梁徳杓弁護士の法(米38)律(米39)事務所やっと判明
-----------------------------
(米38)文脈から「法」と判断、しかし、字形に疑問
(米39)文脈から「律」と判断

p092------------------------------------------------------------
山中弁護士の書いた名簿 宗厚変(?)は宗京
変(?)だし 梁原杓は梁徳杓だし訪ねる
のに困難する筈だ。  実際はそこにもホンノ
たまに顔を出すだけでまだ事務所らしい事務所
もなく明倫町二ノ一六六 李順石方が居所の
由 午后行って見ることにした。 古市方に寄
って洗濯もの二つだけ貰ひ帰宅
 晝食
  トマトスープ、ひき肉野菜煮込、フライド
  ポテート
今日は簡単だ

p093------------------------------------------------------------
一時少し過旅宿を出るHANTOの前で第二高普の教
子申永均君に会ふ明治町で三共商会といふのを経
営してゐるから是非寄ってくれといふ。 其侭徒歩で
明倫町へ。梁弁護士の家は元の根津君の家の
近くであることだけは判ってゐるが案外見つけるのに
骨折った。大分古い朝鮮家屋でそれも三家族位
同居のようであった。若い妻君が中々しっかりした日本語
で應待してくれて留守だが明日正午過黄金町の事務
所で会ふようによく伝へて置くとのことであった。
テク々々と歩く明治町の申永均君の事務所は郵便所
の隣ですぐ判ったが帰って来ぬ。疲れたのでしばらく
待つソファーの上ですっかり眠って了った
四時になっても帰らぬ。資美堂へ寄る朴永善
少し前に寄ったが何一言も伝えず帰った由 全然誠
意なき男である

p094------------------------------------------------------------
谷口(姜)理髪館に廻って散髪して貰ふ。本山君が
ゐて、丁寧に散髪してくれた。二十数年間やっかいに
なった床屋だけになつかしい。 谷口は終戦前女
の子を二人高城に疎開させてゐたのが何遍も金を
費ひ人をやったがついに帰って来ず。又長男は学徒で
兵隊に行った侭消息なく、随分思いを残して帰国
した由。散髪料十四円也も驚いたものだが、切
角本山君が気持ちよくやってくれたから二十円置いて
帰る。本山(道09)君は旭町藝者の顔そりの専問やだった
岡山味野で子供時代を育てられた男だけに京城に取残
されたようで淋しいと言ってゐた   良ちゃん処
に寄る脇(道10)の鏡台の金を貰ふ。李巨福の
処の書籍の件は片づかぬ由。
-----------------------------
(道09)これは日本名に改名した名と思う。
(道10)青葉町に居た弁護士別府市長もした。

p095------------------------------------------------------------
夕食。 野菜入トマトスープ、ヴィアナソーセージ
バタ焼、赤蕪、其他野菜、デザートは林檎
の甘煮。
 夕食後熊沢君の処に寄る。夫人風邪 以来
熊沢君、家の問題でつく々々(濁点付)朝鮮人がいやに
なった ぼつ々々日本へ帰らうかとの話。
金致鳳に寄り貸借り整算。すっぱりと拂ひ
神保氏(道11)への使賃として出された五〇〇も、朴泳
善からのハシタ金もスッパリと断る。
 李巨福 遠藤氏の書画十本持って来てゐる
残念乍らこれといふものなく其侭あづける
ののことは良ちゃんとよく相談して処[28]するように
依頼  沈氏宅へ。明治町のカクエーに同行
-----------------------------
(道11)画具店本町?

p096------------------------------------------------------------
され、奴生風の女給にサービスされ乍らビールを盛
に飲む。十時別れる 酔って其侭やすむ

六月五日
五時起床  荷物整理。 昨夕荷
物木箱をA大尉が運んで来たことをデス
クサージャントが知らせる。 大きいの、木が
厚くてしっかりししてゐてビックリするようなの
四個   朝食
 アップルジュース ベーコン、フライ
 エッグス、トースト

p097------------------------------------------------------------
 今朝から完全に砂糖が食卓から姿を
消した。  八時半HANTOへ。CAPT.
とEGINerに行きハトロン紙、テープ
等貰ってTONGAへ、 荷造にかヽる
段取をつけて、防水紙と、煙突パイプを
CAPがHQへ取りに行ってゐる間にCAPT.
EgerがLT.を一人連れて絵を見に
来る。感心してゐる。 京城でも一度幹
部に展観すると良いのだが、もうちゃんす
がないのかなーとしきりに残念がる

p098------------------------------------------------------------
十時少し前から荷造りにかヽるパイプにハトロンを
巻き、それに絵を巻く、重い。ホコリまみれ
一番大きい箱甚だ長い為 板がたるむ。中箱
一ケを解体。鉢巻補強する。正午迄で
第一箱を終る。 CAP.TONGAで晝
食。
 ペーアジュース、野菜スープ、コロッケ、ポテト
ピュレ、赤蕪其他、パイナップル、コーヒ
十二時半 黄金町事務所で梁弁護士
に会ふ。若いが落着いて感じよき人 結局
松田氏依頼の件も当時の書画二三枚

p099------------------------------------------------------------
貰うだけで終り  一時一寸過ぎTONG
Aに帰る   第二の箱にかヽり 部屋に
持込んで大体の段取をつけ三時半
終る。 四時までCAPT.明朝を約して帰
る。 東京に帰ったら引続き小生の第二ケ月
日雇[30]継続を充分具申するといきま
いて行く。
夕食 SINGEr.Lee両氏と一緒
チーブ、大きなソーセージ、(三回デカイサンドイッチを造って食ふ)
ロースト タング(大きいの)

p100------------------------------------------------------------
但しノーデザート
良ちゃん処へ、EX駄目、李巨福の処本の件
依頼して帰る。  熊沢氏へ。 丁度家屋の
件で支那人のメージャー来てゐる。 隣家の
鮮人とグルで石橋ハウス四軒取る人間の由
然も丁度隣家の鮮人案内についてきてゐ
たが 其女房が支那人メージャーの妻に
なってゐる由(主人とナレ合ひで)あきれた話
金致鳳により神保氏のことづてを受ける
朴泳善 来る々々と言って来ぬ由

p101------------------------------------------------------------
 あく迄卑劣  タカセ・ハウスに
LT.KLWITer、SINGEr、Lee待って
ゐる 中村酒 三人で飲む。気持ちの良い人達
立派な尺八が買ってある。一寸吹いてみるみんな
感心する。SINGEr、KLWITer競
争でやって見るが鳴らない。LT.ついに鏡の前
でやり始めるが駄目。其余りの熱心に笑ふ。
LT.大阪の親友のLT.に紹介手紙タイプで打
ってくれる。
又朱襦帯とトランプとタバコをくれる親切には頭
が下る。何度も々々京都での再会を約束
する

p102------------------------------------------------------------
沈氏へ。電話でEXの人呼んでくれる一、四
余り替る有難い。
沈氏を連れて古市氏へ。マラリヤで寝込んだ
由ひどい過労らしい 池田氏の部屋でよ
く頼んで別れる。
沈氏と福徳順で酒とテンプラで別宴
ワシが拂ふ 十一時一寸過ぎ寄宿
クツ下センタク三足
荷物整理  一時寝る

p103------------------------------------------------------------
六月六日
愈々帰朝の日も近くTONGAの思出も今更
で京城もさらばだ。
 洗面所でENG.のロスケらしい良い男
しきりに友情を示し熊本の知人に連絡してくれ
といふ。おヒルに又話そうと引受る
 朝食Mr.Leeと
トマトジュース、ホットケーキ、ベーコン
終り
荷物、書類整理

p104------------------------------------------------------------
 九時過CAPT来 荷造り 大箱の
一部分を開けてパッキング、 小箱をやめて中
箱をつかふことにする。 大体を午前中に終り
午后CAPT.の荷物を少し入れることにする
十一時半CAPT.半島に帰る
今朝CIC関係露語オフィサー
三人TONGAに加はる
晝食、SINGER、LEE両氏と
一緒。ビスケット(チョコレート色パサ々々したうまいもの)トース
ト、林ゴをくり抜いて挽肉料理をつめたもの

p105------------------------------------------------------------
生人参、オーニヨン其他、文旦のむいたもの
午后二時CAPT来荷造り完了。
明朝出発の予定。  四時半シャワー五時
頃二十一号のフレイズ氏来る今朝来にわかに
親しくなりフランス語で久振で会話する
英語より矢張楽だ。こんなに毎日英語
ばかり使ってゐてもまだ全く駄目なことを自覚
せざるを得ない。
フレーズ氏と夕食
 デッカイソーセージの厚切にチーズ
 かんづめ肉と白インゲン、赤蕪の煮つけ

p106------------------------------------------------------------
とサツマイモの丸のまヽふかしたもの
パン、コーヒ、チョコレートアイスクリーム 例の如き山盛
今夜は大分豊富だ。 隣のテーブルにシンガ
ー氏来てゐる食後同氏の二十五号室へ
The Metropolitan Museum of Art
Bulletin          二冊
Magazine of Art 一冊
計三冊を貰ふ。親切な心に感激せざるを得
ない。
更に自分の部屋に来て、話込む。
自分が日本へ帰ったら一日も早く絵を描く仕事に
専念するよう祈るとの言葉を再三言って

p107------------------------------------------------------------
くれる言葉は切々と身に沁みて嬉しくつい
引揚民の再出発が如何に困難であるか、去年
の八月以来絵らしい絵も描かずに過して来た幾
月の苦しさ。 自分と妻とが手を握り合って
如何に再出発を誓ひ合ってゐるか、どんな困
難にも打勝て行く覚悟だ・・・と話してゐ
る内に我知らず涙がこぼれて来た
SINGER氏もつり込まれてどうかやってくれ
成功してニューヨークへ来てくれ、どんな手助けで
もする。
「自分はジュリーです。判りますか猶太人です
よ・・・」遂にSINGER氏はしみじみ

p108------------------------------------------------------------
語り出した。貴方のようなリクリエートされ
た文化人には国境もなければ民族もない
筈です。それが感得出来たればこそ、私
は私の方から積極的に貴方に近づいて行
きました。 この悲惨な戦禍を乗越えた
平和に私達は一日も早く国境や民族
を超越して堅く々々手を握らなければな
りません。それだから私は日本及日本人を研
究し更に朝鮮支那を研究して見
たい熱望ひとられたのです
実は昨日CAPT.ANDERSON

p109------------------------------------------------------------
があの戦争記録画の将来が果してどうな
るか 東京でプライベートな展観が催さ
れた後のことはどうもよく知らない−−−
といふ言葉にひどく悲観しました。そして
早速ステーツの新聞に打電して美術
や文学が戦争や民族を越えて永久に保
護せられるべきものであることを主張したのです
其與論が喚起されなくてはならないと
信じます
先程言った私が猶太人であることについても貴
方は驚かれたか、恐らくは少しも驚かれず却って

p110------------------------------------------------------------
私がそんなことを言ふのがおかしいとさへ思はれたかも
わかりませんですが、私達はロシア系の猶太人
です祖父母の代に欧州を追はれた家族な
のです。亜米利加の市民権を持って既
に三代になります・然も私達は迫害と
[31][32]と人からきらはれることから未だに逃れる
ことが出来ないのです
SINGER氏の眼からもしみじみと涙がにじんで
来る。
手と手は幾度も々々堅く握りしめられる

MR.LEEがジープが来たとSINGER

p111------------------------------------------------------------
六月五日朝◎補
矢野HUSSに別れに行く
HUSS.STOUDENy(道12) 日本の皆さんに
よろしく。と言って泣く。
殊に竹井教授との別れの話は感慨深い
-----------------------------
(道12)ピアニスト。矢野という日本人の女性と結婚していた。
参考文献
1.近藤史人、"藤田嗣治「異邦人」の生涯"、講談社、2002
2."−画業70年の軌跡−山田新一展"、宮崎県立美術館、2002
3.丹尾康典・河田明久著、岩波近代日本の美術1
   "イメージの中の戦争 日清・日露から冷戦まで"、岩波書店、1996
4.大内要三編、朝日美術館 テーマ遍1 "戦争と絵画"、朝日新聞社、1996
5."東京国立近代美術館所蔵品目録"
  水彩・素描 書 彫刻 資料 戦争記録画、東京国立近代美術館、1992
6.青木画廊ホームページ、http://www.aokigallery.com/
7.藤田米春ホームページ、http://www.coara.or.jp/~fujita/syamada.htm