ペットの死

2004/11/06

 昨日、我が家の3匹の猫の内、シロが突然死んだ。女房が、朝10時ころちらっと庭を見たときには、ぽかぽかとした日差しの下で昼寝をしているようだった。12時ころ、2階での用事から1階に下りて庭を見たら、朝と全く同じ姿勢で寝ている?! おかしいことに気づいて庭に出てみると既に死んでいた。筆者は仕事に行っていて電話で聞いたので(というより筆者が鈍感なのかもしれないが)意外ではあったが、ショックではなかった。しかし、女房にはかなりショックだったようだ。かなりうろたえた声で電話してきたので、ネコ以外の家族に何かあったのかと思った。

 シロは人に一番なついていた。女房は、元気なころのしぐさや目つき、表情が浮かんできて困るという。筆者もシロをマフラーのように首に掛けたときの重く(大きな猫のうえ太って10kg近くあった)暖かくふかふかの感触や、何かを要求するとき妙に真面目な目つきをして左の前足で筆者の顔や手に触るしぐさは現実のように思い出せるし、写真も(未整理だが)シロのものが一番多い。シロが一番心を和ませてくれたのではないか。

生きていた時の最も新しい写真(2004/10/20)
筆者の股に挟まって得意顔


 さて、死んだシロの処置だが、筆者自身は(シロを可愛がっていたし、死は残念だし、悲しいが)、ゴミと一緒に焼却するにしても、ペット葬儀社で火葬にしても、あるいは適当な場所に埋めても、結局、水と炭酸ガスその他になってしまうという意味で、かまわないと思っている。死んだ者は、生きている者がどうしょうともそれを感知できる訳ではない。問題は生きている者の心情であり、手厚く葬るというのは、生きている者の納得のためだ。例えば筆者自身が死んだ場合でも、後どうされようがかまわない。骨格標本にされようが、その辺に打ち捨てられようがかまわない。仮に、誰も悲しんでくれなくても分からないので、生きているうちに「死んだら悲しいよ。」とか言ってくれればそれで(それも無理という話も無いではないが)十分である。しかし、女房はやはりちゃんと火葬にしたいようだった。そこで、ペット葬儀社を調べて火葬にしてもらった。

 筆者達が選んだのは「メビウス」というペット葬儀社で、かなり山の上にある。朝、予約の10時30分に葬儀社に着くと、白衣を着た女性の社長さんと共に大きな犬が4,5匹駆け寄ってくる。とても人懐こい犬達で、中の1匹は以前盲導犬だったそうだ。犬が苦手の人は困るかもしれないが、中の比較的若い黒い犬は遊び盛りのようで、ちょっと相手をしてやると嬉しがってハァハァ言いながら筆者の顔をなめたり手を口に入れて味見したり、筆者にじゃれてくる。筆者はなんともないが、社長さんはその犬を慌てて檻に入れていた。

 天気がよかったし、場所柄、景色がとてもよく、気持ちがよかった。そして、あまり宗教色が無く(と言っても特定の宗教の信者でなければ、喪主?の同意のもとに観音経のテープを流してくれ、焼香も可能)扱いも丁寧だった。そして、お骨を持ち帰らない場合には、敷地内の大きなお墓に入れてくれる(無料)そうだ。筆者は女房の希望で、とりあえずお骨を持ち帰ることにした。火葬が終わり、お骨を見て社長さんが説明してくれたが、焼けた痕跡から、どうも腹腔内にかなり出血していた可能性があるらしい。肥満以外の病気の兆候には気がつかなかったが、何か病巣があって何かの拍子に内出血したのかもしれない。

 社長さんは話好きで、火葬が済むまでいろいろ話していると、以前は幼稚園の園長先生をしておられたらしく、その幼稚園も筆者の職場とも関係が深かった。料金も妥当なものであった。個人的な印象であるが、ここは、お勧めである。
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