どちらかというと一人でいるのが好きで、小学校に入る前から、家にあったハーモニカを吹いていた。ところがこのハーモニカは父が兄のために買ってきたもので、ハ長調でなくて(多分)ト長調だった。それで、筆者が合奏に入って吹く度に先生がしきり首をかしげる。それでも、そのまま加わって演奏した。筆者の音感(相対音感)は、ハーモニカで付いたのではないかと思う。たいていの曲は耳から聴いてハーモニカの調に移調して吹けた。ただし、途中に臨時記号があるとだめだった(当時は「臨時記号」などと言うことは知らなかったが)。
やはり最初に聴いたのは、「運命」「未完成」である。それと、学校の音楽の時に聴いた「ボレロ」。
まずは、「愛のロマンス」。「鉄道員」、「夜の訪問者」などの映画音楽バッハの「アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳」から「メヌエットト長調」のギター編曲版(イ長調)、リュート組曲から「ブーレ」。ラリアーナ祭、ソルの練習曲「月光」。「ラ・クンパルシータ」など。
我流でも、長いこと吹いていると、あるとき突然良い音を出す要領が分かることがある。一方、最近になってフルートの先生に聴いてもらったら、「棒のような吹き方だ。」と言われた。
2声のインベンション1番、6番をたどたどしく弾く。平均律の第1巻1番のプレリュードも。同フーガに挑戦したが挫折。7番のプレリュードはなんとか弾いてみたい。
「長男との対抗意識」とは大人気ないと言われそうだが、長男が中学の時の授業参観が音楽の時間でハレルヤを合唱していた。筆者は長男よりも音感は良いと思っていたので「長男にできることなら自分にもできるはず。」という訳である。その長男と大分第九の舞台に立ったこと、その後、次男とも同じ舞台に立って歌ったことは親としては、少し、自慢に思っている。長男(現在東京在住)の方はそこでも第九を歌った。
村津副会長(パワー)、宮本先生(若さ)、クール青山の方々、豊声会の方々、南蛮コールの方々など、Kさん(大分県警察の刑務部長:警視正)。
指揮者の指揮ぶりに見とれて、音楽に聴きほれて、うっかり、バリトンソロと一緒に声を出してしまった。後で、村津事務局長に「延岡もまだまだやな。バリトンソロと一緒に声を出した人がいる。」と言われたときには「いや、それは私です。」とはとても言えなかった。トラウマになって、それ以降、延岡援声隊には加わっていない。
2002年は、大分第九前日に延岡第九があり、筆者は援声隊に加わらなかった。すると、村津事務局長から、大分にいるのならソリストと宮本先生の会食の案内をするように、とおおせつかった。何という幸運か。
2002年のソリスト+宮本先生との会食
前日に風邪気味なのに、研究室の忘年会に参加したのが悪かった。本番では、鼻水はでるは、大声を出すとむせそうになるは、で最悪であった。ビデオには、筆者が水鼻を拭きながら歌っているのが写っている。