第22回大分第九練習こぼれ話

Episodes in lessons of 1998


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1998/11/16更新

練習こぼれ話

(時間逆順です)
1998年12月10日(12回目)
今日は、13日の本番前のゲネプロを除いて、今年度最後の練習です。まず、上田雅美先生による発声練習があり、次に、村津久美子先生から
特に、女声パートの細かい発声についてご指導がありました。そして、いつものように宮本修先生とピアノ伴奏の小野三奈子さんによる全体練習です。

全体練習では、特に最終調整として、女声2部の3連符で始まる「Uberm Sternenzert muss er wohnen」の音程や歌い出しの音程のおかしなところなどの練習をしました。発声の最初のところで、妙な(音程が低く外れた)付帯音が付く人がいるようです。

以下は、筆者の勝手な推測ですが。。。発声は力学的振動の一つです。しかも、私の見るところ、バイオリン族の弦楽器と良く似ている。つまり、声帯が弦で、息の流れによる弛張発振をしているので、まず、振動数は基本的に声帯の緊張度によって決まり、声の大きさは声帯の隙間を流れる空気の流速によって決まるはずです。つまり音を出すには声帯の緊張が必要なのですが、声帯を閉めて肺の圧力を掛けておいて声帯を緩めることにより声を出し始めると、声帯が緩んでいるので最初低い音が出てしまう。声帯の緊張を作って(ただし、閉めないで)おいて、声帯を緩めて声を出し始めるのではなく、声帯の状態は変化させずに、息の流速を増やすことにより声を出し始めるのが良いのではないかと思います。ただし、ここに問題があります。一般に「発振」が始まるには何らかのきっかけが必要なのですが、声帯振動の場合、声帯があまりつよく緊張していると流速が弱い息では、きっかけにならないということです。そこで、発声のきっかけを容易に作るために、声帯の緊張を緩めてしまうということになりがちであるということです。その結果が低く外れた付帯音となる訳です。また、高い声を出すには、声帯を強く緊張させるか、振動する声帯の部分を短くする必要があります。「振動する声帯の部分を短くする」などということが、人間にできるのか知りませんが、もし、できるとしたら、声帯の相対的な硬さが増すことになり、また、もし「声帯の振動する部分を短くする」ことができなければ、強く声帯を緊張させなけばならず、どちらの場合も結果として声帯振動は強い息の流速が無ければ始まらなくなり、大きい音しか出ないことになる。すなわち、高い音をpで出すのは難しい訳です。

練習の後、宮本先生小野三奈子さんに感謝の拍手で、終わりました。

1998年11月15日(10回目)
今日は、山下先生の2度目の練習です。まず、発声練習は、バスパート指導者の糸永起也先生のご指導でした。

その後、山下先生のご指導があり、前回注意されたことも含めて細かい注意を受けました。

声を出す前にその声はどんな意図で出されるのか、その発声で聴衆にどんな効果を与えるのかを常に考えて。

内容の濃い練習でしたが、ご指導の内容がだんだん難しくなってきました。

1998年11月3日(9回目)
今日は、前回、山下先生に指摘されたことをみっちり練習しました。まず、発声練習は、ソプラノパート指導者の上田雅美先生のご指導です。雅美先生のおもいっきり元気印のご指導には、(いつも指導を受けているソプラノパートの人達を除いて)皆圧倒され、(特に中年以降の男声陣は目を回しそうになりながら)つい引き込まれてがんばってしまいました。

1998年10月27日(8回目)
今日は、本番での指揮者、山下一史先生のご指導です。「中津第九を歌う会」は先日山下先生の指導があり、合唱団はカルチャーショックに近いショックを受けたとの村津事務局長(日豊第九を歌う会連合会長)のお話に一同、わくわくドキドキしながら山下先生を待ちました。

いよいよ、山下先生ご指導の練習が始まりました。
   

実際に練習が始まってみると、明確な指揮、的確な指示と注意で実に上手く指導してくださり、緊張した中にも楽しく充実した練習でした。

「フォルテシモは絶叫するのでなく、発音を明確に」
「フォルテは、フォルテシモになる余裕を残して」
「歌詞にコンマがあるところは、ちゃんと切って」
「歌詞に『!』マークがあるところはそれを意識して」
「尻すぼみにならないように、母音を大事に」
「cresc,dimの開始が早すぎる」
「楽譜に書いてあることを注意深く読み取って」
などなど、重要な指摘・注意がいっぱい

汗びっしょりになりながらの指導が終わり、
帰る合唱団員をにこやかに見送られる山下先生

1998年10月18日
国民文化祭のオープニングで、「翼」と「全ての山に登ろう」、「荒城の月」の3曲を歌いましたが、リハーサルの段取りや主催者側のプランに不確定要素が多く、楽譜がやっと直前になって来たり、その楽譜が変更されたり本番前日に歌詞が突然変更になるなど、いろいろと戸惑いました。おまけに、指揮者がオーケストラピットの中にいて指揮が見えないとか、緞帳が下がった状態で演奏が始まり、指揮者は緞帳の向こう側で全く見えない状態で歌いはじめなければならないなど大変でしたが、とにもかくにも大役を果たしほっとしました。出演を希望して出られなかった方達のことを考えるとあまり文句も言えないのですが、とにかくかなりの悪条件下の演奏であったことは確かです。さらに、17日のゲネプロも機械の故障や不調などが重なって、22時終了のところが、23時半ころまでかかってしまい「翼」はオーケストラとたった1回合わせたのみでした。その1回の音合わせも、指揮者が練習予定を忘れたのか、練習せずに終わろうとしたのを村津事務局長が慌ててそのことを言いに行ってやっと実現したものでした。しかも、一言の注意も指摘も無く、合唱団員の多くが半信半疑の状態で終わりました。

また、オープニングフェスティバルのテーマの一つが「風」だったのですが、17日に台風が来て交通機関が止まり司会者の一人が練習に来られないとか、小学生は、安全などを配慮して早く帰宅させるため、練習の順序を変えるなどのハプニングがあったのは、皮肉な偶然でした。

10月19日16時過ぎからNHK総合テレビで放送があり、その録画を視聴したのですが、やはりできが良いとは言えません。出演者として納得の行く演奏ではなかったと思います。いっしょに出演した佐藤しのぶさんにも「大分第9を歌う会合唱団というのはこの程度なの?」と思われたとしたら私自身も悔しいし、出演できなかった人達にも申し訳ない気持ちです。

12月の「第9」では絶対に良い演奏をしなければ・・・。

1998年9月15日
今回は国民文化祭のオープニングで歌う、「翼」と「全ての山に登ろう」の練習もありました。「全ての・・・」は、今日、初めて合唱符を渡され初見で歌うことになり、面食らいました。事務局長のお話によるともう一曲あるのだそうです。その楽譜は何時になるのでしょう。

1998年8月22日,23日(合宿)
恒例の夏の合宿です。陣屋の村童夢館に第九の歌声が響き渡りました。
詳しくはここをクリックしてください。

1998年7月20日(5回目の練習)
今日で、練習の前半が終わりです。一応、最後まで通して練習をしました。sf記号の付いている部分や、出だしなどがまだ揃っていないなどの問題がありますが、初めての人も一応、歌えるようになってきたようです。

伴奏の小野三奈子さんからも拍手が?

1998年6月28日(4回目の練習)
今年はとにかく練習参加者が多い。今日の練習も練習場の芸術文化短期大学音楽ホールが通路も塞ぐ満員です。

 今日の練習は、独唱パートも加わって本格的な練習になりました。音楽的な完成度はまだまだですが、とにかく、満員の熱気でホールを圧倒する練習になりました。

1998年4月26日(練習の初日、結団式)
12:50ころ、 練習開場の大分県立芸術文化短期大学音楽棟に着くと

既に本年度の会員登録の長い行列ができていました。

 今年は、国民文化祭が大分で開催されるので、スタッフ一同も張り切っています。そのせいか、あとで聞いたことですが、今年は、新人がかなり多いようです。また、平松守彦大分県知事も合唱団の一員として(バスパート)参加される予定です。
 総合合唱指導の宮本修先生の最初の説明とドイツ語歌詞の発音指導が一段落したところで、結団式が開催され、総合指導者、各パート指導者と伴奏ピアニストの紹介の後、本当に平松知事がお出でになり、
「本格的な合唱は初めてなので、
仕事の移動中にも車でテープを
聴いて練習したいのでよろしく
お願いします」       

とのご挨拶のあとバスパートの席に入られて 熱心に練習されていました。請う、ご期待。


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