絹糸の採取と蛹の命(虫が良すぎる)
Kill them to get silk thread


1998/6/30更新

 6月8日はほぼ一日掛けて15個の繭を解いて丁寧に糸を巻き取った結果が次のものである。さすがに、これは「絹」である。しかし、この作業も非常に疲れる作業らしく、今日も女房はぐったりしている。おまけに、昨日の繭を煮る匂いが脳の片隅にこびりついていて、時折りよみがえってきて食欲が湧かないのだそうである。無理もない。

 そうやって、糸を巻き取って行くと、最後に下のような蛹が出てくる。

 これも、生きていて元気に歩いたりすれば愛着も湧くのだろうが、煮えて死んでいると、ちと気持ち悪い。成人式の日にきれいな絹の振り袖を着て喜んでいるお嬢さん方も、ときには、このような数知れない虫の命に思いをめぐらせてみてもよいのではないかと思う。
 本当は、糸を採ったあとの蛹は食べてしまうのが最も良いのであろうが、あいにく私にはそのような広い心も習慣も無い。(栄養はありそうであるが)
 人間を含めて動物は、こんな、他の多数の生き物の犠牲の上に生きているのであり、亡くなった父は常々「人間はこんなことをやっていて、宗教に入って祈ったり、御布施をしたりすれば天国/極楽に行けるなどと思うのは、誠に虫のよい考えだ。天国/極楽などに行けるはずがない。」と言っていたが、誠に言い得ていると思う。


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