私は殺し屋(パパ、ゲーの気分)
Der professionell Moeder bin ich, Ja!


1998/6/30更新

 6月14日現在、糸の巻き取り状況は、

のようである。これでも数時間これに時間を掛けている。こればかりをやっている訳にも行かないので、繭が羽化する速度の方がはるかに速く、もう、羽化していない繭は、100くらいになってしまった。羽化して穴の開いてしまった繭は、糸が切れているので、糸を巻き取る事はできない。これは後程お湯に漬けて解れ易くなったところを押し広げていくつかを重ねてハンカチ状にする。
 羽化してしまった成虫は、見つけ次第ピンセットでつまんでポリ袋へ放り込む。あまり楽しくない作業である。蚕に桑の葉を与えるのは「育てる」いう前向きの作業であるが、成虫の処理は「殺す」という後ろ向きの作業なので、どうも精神衛生上よろしくない。おまけに、放り込む度にポリ袋の中でうごめく大量の蛾と産み付けられた大量の卵が見えて、(写真を載せるのは控えるが)なかなかに鳥肌が立ち食欲を失う光景である。この辺りは、同じ大量ではあっても、桑の葉を食べる大量の蚕と印象がかなり違う。もちろんこれも、「蛾を飼う」ということになり、つぶさに1匹々々を見れば変わってくると思われるが。

 実は、「深夜の惨状」のところで書くのを差し控えたのだが、女房によると、繭が煮えると中の蛹が崩れ易くなり、壊れた蛹が雌の場合、お腹に卵がぎっしり詰まっていてしかも半分崩れかけたのが出てくる。それはまるで、子持ちシシャモそっくりで、これを見てしまったらしばらくは子持ちシシャモはとても食べる気がしない、とのことである。確かに、想像しただけでも(後に筆者も実物を見た)シシャモはしばらく遠慮したい。


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